art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

セパレート

rubenjuri2009-03-04

PTA総会でした。画像は、最後ってことで、出たケーキ。
これで、卒業式までは、もう、学校に行く事もないでしょう。
テニス部を、正副部長として、そして試合のペアとして、二人三脚で引っ張ってった、ツッチーのママとも、PTAで会うのは最後でしょう。
同じ高校を仲良く推薦してもらったふたりは、片や生徒会役員、片や県代表で県キャプテンという旗印と周囲の太鼓判を掲げながらも、仲良く推薦入試に失敗し、今迄、全ての分野で順風満帆に進んで来た仲良しは、仲良く初めての挫折を味わうのであったろうけれど、N川G院特進コースに合格しながらも、ビンボーだから行かせられないヨーみたいな事言われつつ、「んじゃ何で受けさせたんだ」と母にツッコまれつつ、仲良しと別れても、第一希望校を受けるのだそうだ、と、いう、いきさつ。ツッチーママンに説明しておきました。
男子テニス部員は、文武両道に長けた面々らしく、殆どが上を目指している為、卒業式以降の受験生ばかりで、進路が決まって在校生の指導に戻って来た子は、たったひとりだそうです。かわいそー後輩。それが楽しみなのにね。

部員の保護者1何もわかっていない母親、juriめの為に、いつも情報を流してくれる、ひとりの後輩のママンに呼び出され、PTAがハネてからランチに。どうやら、卒業式の終わったその夜、後輩のママン達が、私に挨拶にいらっしゃるとのことで、エライこっちゃー。それにあたって、セガレが後輩達にどんな面倒をみてきたかとか、色々、前もっての説明を受けておき、セガレに恥ずかしくない母親でいるようにとの、ご指導であります。有難いっす。チョリーーッス。
当日迄ドッキドキだぜ。それをセガレに言ったら、ウケてました。
「別に俺は、何もしてへんよ。強い二人がラケットくれって来たから、“コイツらになら”って、喜んで渡しただけだし。色んなとこは連れてったけど、引率したつもりはないし。まぁ、母、頑張れや。」
ただでさえ様子がわからない上に、なんという体育会系な世界。んで、なんという男な世界。全て未知の世界。しょうがないからニッコニコしていましょう。


PTA会長は、かるとんY田女史と地域での仲間であり、juriめも地域イベントにライブ出品したご縁で紹介していただいた知り合いだったので、今年度の文化発表会部はjuriめが適任だと推してくれての参加だったわけですが、全てを、うちの助監督であり、S山天文同好会メンバーでもあるFIKにムチャぶりし、丸投げにて、大成功を納めた文化発表会となりました。ありがとうFIKっち。
かるとんY田女史といえば。3年前、『カプセルA』“ステーション本部”のロケ地の下見に連れて行っていただく往復の車中で、「juriちゃんには、近い将来きっと、同じ、表現の世界に居る伴侶が見つかる気がする。」って、言われました。
激しく否定しました。絶対的な自信で否定していました。「今まで、私が本当は何をしているかを知らない人としか居られませんでしたし、これからもそうです。その方がいいようにも思います。めんどくさいし。」
すると女史は、「だから、その頑固な考えを覆す人が現れるって思うって、言ってんのよ。」と、言いました。「一緒に出来たら、とてもいいよ。」と、続けていましたが、私としては、かるとんY田夫妻がそうやって二人三脚で表現やってきたから、そう言うんだって、軽ーく、聞き流しました。
んー。3年経って。そりゃー、そうでしょう。でも、無理です。そうなると、己が、己自身が邪魔になります。愛なんて、ありませんし。んなもん、ねーし。憧れますけれどね。そして、ここへきて、それが揺るぎないものになってきたのです。哀れな事ですね。こうなってしまったら、絶望的ですね、他人事のように言いますけれど。
ところが、憧れだけは増強しているので厄介です。以前の状態にも戻れなくなってしまいました。昔は憧れなんてなかったってのに。
琴線に触れる音色と曲調を憶う度、手を伸ばしたくなっては、泣きながらリセットしています。
Takashiさんが先日言ってた、「アナタの声が主体になれる音を」叶えられる、そして、愛の持ち合わせが有る、自分と、誰かに、出逢えたらいいですね。今の自分じゃ、無理ですし、これからだって、このまんまじゃぁ、到底無理でしょうけれどね。んーーーー。考えらんねー。あり得ねーーーー。


チョリーーーーーッス。