1月1日にメッコが駆けつけてくれた時に、その場にいたみんなに「珠里はいつもママと腕を絡ませて歩いていたから、ママがおらなくなったらどうなるのかといつもいつも考えていた。」と言いました。
驚きました。
実は私もメッコに同じ印象を抱いていたからです。
もちろん私みたいに、ちびちびの頃から思春期を経て大人になってもずっとずっと母親と手を繋いだり腕を組んだりして歩くなんて感じではなかったけど(友達の前でもやってたという自覚はなかったけど、目撃されてたのかな。憚らずやってたのかな。)、思春期に言い争っていたり仲良くしていたりする密な感じは普通の母子の関係とは違う一心同体な雰囲気を醸し出していました。
だからこそ私だけではなくチャオも他のみんなにとってもメッコのお母ちゃんは「メッコのお母ちゃん」というオリジナルな存在であり、懐いていました。
奇しくもお姉ちゃんが喪主挨拶で述べた「此処にいらっしゃる皆様にとっては、〇〇(姉の名)のママ、珠里のママという存在だったと思います。」というのも同様なのだろうなぁ。
オリジナルな母といえばもうひとり。
アラッツのローズマリー。
アラッツのお母さんをローズマリーと名付けたのは何を隠そう、誰あろうお兄ちゃんです。
そ、私の。
ママより先に召された我が兄。
1月2日にアラッツを連れてモリギが広島から駆けつけてくれた時、お姉ちゃんと4人でママが召された時の経緯を一通り説明した流れで、アラッツのお母さんのことを「じゃぁローズマリーは・・・云々」と普通に話しても誰ひとり訊き返すことなく話題が転がって行ったことはきっと傍目から見たとしたらシュールなものなのかもしれません。
ま、それは余談だけどね。
モリギがずーっと前にくれた中村茶舗のお茶が勿体無くて開けられなかったんだけど、飲みます。