art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

松江の緑茶を傾けながら

rubenjuri2016-01-16

「ねーさんを支えてやってよ」
と、言ってたよとママに伝えたら
「せきちゃんは優しい子だわー」とママが言っておりましたが、あれから16年でございます。
パパの命日でございます。



ママはあの前後はパパの遺影に向かって
「まーこの子たち3人が頼もしかったよー」って言っていたが、その後お兄ちゃんは逝ってしまうし、末娘に至っては、支えるどころかー・・・ってな有り様ですけどね。
全員いろいろあるわ。



今宵のタミーさんのライブは楽しみにしていました。
早々に仕事の調整もし、次の日をオフにする段取りも整えて、パパへの祈りの夕べにする構えで。
タミーさん、一曲目を歌い終え、MCを転がし始めた途端。
「あー。年末のjuriさんのライブの興奮がね、まだ冷めない感じなんですよね。」と、切り出した。
お!!なんですと!!
「あ、ご紹介します。司会者でもあるんですけどね、空間プロデュースなどもされて、色んな表現活動をされてます、juriさんです。」
ひーーーーー。あ、ありがとうございます!!
タミーさんのライブには音楽仲間のみなさんが遠方からもはるばるいらっしゃるので、恐縮しました。
ラスト2曲は、パパを懐いながら目を閉じて浸りました。
就寝前。
こういう時に、飲めたりしたらいいんだろうねーとか思いながら、中村茶舗の緑茶を飲みながらタミーさんにメールをしますと、タミーさんも一人打ち上げ中でいらして、タミーさんのお父様も1月がご命日でいらして、そんなところから、傾けるグラスは違うけれどお互いにそれぞれの父親を偲びながら夜を過ごしましょうってことに。



ん?まてよ?
パパの亡き後、ママを支える?
パパってそもそもママ支えてたのか?
ああ。支えてたんでしょうよ。
すげーよな、パパとママ。
ふーん。
そしてママはパパなしでも支えなしで立てているっていうね。



昨日はK先輩にもチラッと会いました。
大阪に用事があり、用を済ませてから10時半に三田着。
終電までほんの30分の滞在でした。
入ったキーラーゴはてんてこ舞い。
もちろん先輩のジントニックと自分のカフェラテは自分で淹れました。
「たまにやっぱりjuriちゃん呼びたくなるがなー。電話するひまもないくらい忙しいと結局急には呼ばれへんけどな。」
なんかブザーみたいなんで呼び出せたらいいのにねー。
トムとジェリーを何故か思い出しますが。
ジェリーが笛を吹くと犬が飛んで来るって感じ?



3月20日クラブチッタ、行きたいなぁ。
人見元基氏の生歌聴きたいよー。
聴いてみたいよー。
公務員だからそう機会も多くないだろうからなぁ。
行っちゃおうかなー。
んー。