art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

分析癖は妄想癖より重度

rubenjuri2012-05-26

AYAとのチビチビ期よりももっともっと遡る70年代前半の曲を無意識に口ずさむ時、リアルタイムの無知と無垢の罪に切なくなり、作詞家を確認しては「嗚呼そうだった」と、その人となりを噛み締めることで誰かと共有したつもりになる、juriです、こんばんは。
最近は『さよならをするために』を口ずさんでしまう。
そうだった、石坂浩二作詞だったっけ。
「あの日知らないひとが今はそばに眠る」
もうひとりの己はいつだって傍らの人と己をそうやって見ている。
彼も浅丘ルリ子と居る自分を見ていたのだろうかとか思ったり。
ママとよく石坂浩二の個展に行き、浅丘ルリ子肖像画をふたりで眺めたものだ。
坂田晃一が作曲と編曲だったとは知らなかった。
この時代の曲のベースラインってば、意識して聴いていた年代ではない為か、細胞の記憶だから懐かしさが半端ない。


共有できるAYAの存在は貴重である。
島ポンが「このふたりは一生の親友であろう」と予言した意味が今、解る。
そして。
三つ子の魂が小5でAYAに出会うまでの内観も貴重なのだ。
おなじくらい。