art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

作り方

rubenjuri2012-05-04

画像は、友人の母上が友人に宛てた絵手紙の1枚。
なんと書籍化をしたそうで、私が1番好きなこの1枚が表紙になったとのこと。
なんて素晴らしいのでしょう。
この絵を拝見していると、店内で毎週日曜日に読み聞かせをしていた店長時代を思い出すのです。
ハートが降り注いでいた日曜日の1時からの1時間。
懐かしい気持ちになりました。
ありがとうございます。



思い出すといえば。
今日のリハの休憩中、レンジャー氏の持っている音源を聴かせてもらいながらの音楽談義ん中で蘇ること。
映画監督になりたいなんて思ったことはなかったけれど、紐解くと、AYAの言うように、小学生のチビチビ期から戯曲を書いてクラスメイトに演じてもらっていたっけ、なんて思い出したのは最近で。
ただ。
ただ、江崎氏のライブを聴きに行ったってだけ。純粋に。彼のライブのブレイクタイムに、トランペットの管ん中の音を聴かせてもらうってプレイを体験させてもらいながら、処女作『鉄腕夫婦』の筋が頭蓋ん中に芽生えた。
そのほんの数分のうちに。
帰宅後、日付けの変わらないうちに主演のオファーの電話を鉄腕氏にし、後日、江崎氏にも出演オファー。
私は。
私の作品は、いつだってこんな風に音に出会って生まれるのだった。
いや、それは、自覚の上での状態で説明させてはもらっていたのだけれど、映画を撮る発端それ自体も、もはやそうだったんだって、思い出してた、リハの休憩中でした。
ありがとうございます。



黒猫の声は母性からのそれで、ほんの一面でしかない。
ニーズに合わせて如何様にでも成るのがその声である。
大きな母性が成すのは、その人の為。
一切の別ver.を封印しているのも、その為。
完成した母性のオンナに、子は必要なく、子の、子である意味を識る。
母性の薄いオンナにこそ、子が要るのだと、黒猫の佇まいを感じた瞬間から理解した。
向けられるナチュラルな大いなる母性は、伴侶へと。
自然で
演じられる
静かな
欲のない
感性はほんの
ほんの一面。