セガレが買ってきた桃ジュース。
わっけわっけ。
セガレとの暮らしをまもる。
表現をし続ける。
そこだけである。
あとは、自分で判断して、ふたつを守れるか守れないかを見極める。
それが己なのだ。
ふたつの為に、健康管理につとめる。
宍道湖を想いながらも此処にとどまっている意味を識ろう。
此処で嘉事氏に何度も讃えられたのは、作品を撮り、それについて、皆さんに協力していただけたこと。
此処でたくさん表現をした。
此処の仲間と此処じゃないどこかにツアーに出た。
よそにたくさん呼ばれた。
此処だという意味。
創るというところでの
映画とロックは
本業とは正反対に位置し、そして厄介なことにそれは傍目には同位置に在るとも思える。
この相反する両者を何故、己という一個がしているのかというのがそもそもの面倒な問題なのである。
分裂しているわけを探究してもしかたがない。
原因追究は不毛な責めと咎を生むだろう。
そして
ますます目の当たりに己を突き付けることになろう。
それはヤだぜ。