丹波黒枝豆の豆ご飯。
飲まないから、黒豆枝豆をいただくと、いつも、こうなります。
今日は、セガレの最後の合唱コンクールなので、晩ご飯、一緒に食べようと、仕込んできました。
昨夜は夜遅くまでクラス全員で公園に集まって練習していたというのに、ボッロボロでした。
練習なんて、公園で出来る訳、ねーし。
中坊って、可笑しいわ。
セガレの幼少期。
心理士のY女史に言われた事があります。
「男の子は、14歳から20歳くらいまで、同性の尊敬できる目上の存在が居ると、とってもいいのよ。それがお父さんだって、いいのだけれどね。」
とても納得できました。そして、「とってもいい」というより、セガレには“必要”だと思いました。しかし同時に、父親の事は嫌いではないし、気を使っているし好きだとは思うけれど、その存在ではない、と、ハッキリと確信しました。
彼女の何気ないその一言を聞いて以来、漠然と、セガレにそんな存在が現れる事を願うようになりました。
そして、無意識ですが、音楽でセガレを導いてくれる人がいいな、と、希望していました。
いいのです、何だっていいのです。そう思ってはいるのです。彼の人生だから、どんな分野だって、いいのです。ただ、無意識にそう希望してしまうだけで。
3歳になるより以前に、ピアノを習いたいと言い出した事がありました。理由は、ママが私のピアノを松江の実家から送って来たから。単純にやってみたかっただけ。
でも、元ダンに承諾してもらえず、調律の許可も出ず、大好きな“猫足マホガニー・アップライト”は、ただ、有るってだけのピアノになってしまいました。
何の楽器に転向するにも、鍵盤を知っていたら随分近道だと思っていたので、やらせておきたかったけれど。
以来、音楽に触れる事なく(私のライブは手伝いに来てくれた事もありましたが)、今日に至ります。
まぁ、パパの孫で、私のセガレですから、どんな風にart-Pが発症するか、わかんないからな。パパのレコードはママが破棄したらしいですが。幻。
ここへきて、セガレも無意識に、そういう存在を欲しているのではないかと伺い知れます。もちろんそんな話は一切した事はないのだけれど。
魅かれるソウルとソウル。
前世での何かを感じてしまう母子です。