art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

濁点

rubenjuri2008-07-13

 松本清張ナイズされているわけではありません、juriです、こんばんは。
 11日に誕生日だったママ。
 「電話し!」
 何度もHEROにそう促され、それでも断固、拒否っていた当日。
 次の日。
 メールしました。夕方に。
 本当は、「ありがとう」を言いたいけれど、「なんで」ってなスットコドッコイな空気読めない的な返信をされるのは萎えちゃうので、
 「誕生日おめでとう。ありがとう。」に、しました。一日ズレてるのも、空気読んではくれないだろう、とは、思いつつ。
 で。
 もんのすごく何時間もスルーされ、「ありがとうさん」と、だけ。
 つい数日前、また例によって感動大作のニットワンピを編み上げて送ってくれて、「アタシにはちょうどいいけど、アンタには長過ぎるんじゃないの?」的な、自分の方が断然似合うけどオメーにやるよ的な電話があり、「いーえ。ちょうどいいです!」と、啖呵を切りました。
 呉服屋の女房でもあり、ニットのプロですので、彼女の作品を着ていても、手編みとは思われず、誰にも紹介した事はないのですが。
 ま、クールな女です。
 画像は、8年ぶりに生まれた娘に離乳食を与えるも、反物に戯れて食べず、「ちょーウゼー」と辟易しているママ。
 art-P感、空気感、ルックスはセガレです。
 兄貴が急逝した時も、駆けつけなければならないのに、「美容院を予約しているから。」とか言って飄々と準備する女。
 「アナタの息子さんが亡くなったのですよ、キャンセルしなさい。」と、諭しても、「今日しか行けないし。」とか、言って、強行。
 迎えに行ったら、美容師さんと談笑。「じゃーねー。どーもー。」的にサロンから出てきました。
 遡り、8年ぶりに妊娠した娘を産む時も、担架で運ばれる筈が、「なんで私がここに寝なきゃならないの!」と、担架にカッコつけて横座りして救急車に乗って行ったとか。腹ん中だったので、私は見てないです。


 そんな彼女が、「ありがとうさん」と、“か”に濁点つけて寄越した。
 ついこの前まで、「てんてんのつけ方なんてわからない。しらない。いいもん。」って、言ってたのに。
 今日、あれ?って、思って、読み返して気づきました。


 一連のアノ態度の裏側に、どんな凄まじい業(go)が隠されているのか。
 あの冷たい殻の中に、どれほどのとてつもない愛が詰め込まれているのか。
 つい、数年前まで、私にはわかりませんでした。


 パパが私に呟いたことがあって、忘れられません。「アイツは、凄いバカだ。そして、天才だ。」
 それに尽きるのかもね。
 姉が私に呟きました。「あの人の子供だから、私たち三人は可愛がられたに過ぎないんだよ。それを心得ときなさい。そうじゃなきゃ、一族のその他大勢だからね。」
 動物がまとわりつく。蝶が周りを飛ぶ。可愛がるそぶりもしないのに。
 私の友達にも何の愛想もしないのに、私が居なくても、家にはいつも友達が沢山いて、ママの料理を食べていた。“ママ”と呼ばれていた。
 長男だったパパの兄妹も、ママが育てた。


 クールなママが、パパの出棺の時に、パパの亡骸に濃厚な接吻をした時には、驚いた。
 「え?愛してたのかよ!!」って、くらい。
 そして、喪主である兄貴に点火のスイッチを押すようにMCが流れると、兄貴が私の方を向き、「オレ?」って、ジェスチュアしたから、私も兄貴を指差して、「アナタ?」って、ジェスチュアしたら、そのやりとりを見ていたママがほくそ笑み、「知ってたのよねー、喪主が点火するの。だから喪主になるのヤだったんだー。」と、言った。
 まんまと。
 「愛してたのかな。」
 叔父に訊いた。
 「ばか。あのふたりの大恋愛を知らんな?それはそれは凄かったのだ。」


 ま、とはいえ、私は、倦怠期に「出来てもいっかー。」っつって、作った子らしいんですけどねっ。