art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

聖ミヒャエルの嘆きと歓喜

rubenjuri2006-10-07

 参観日だったけど、パシリだった。
 いつもお互い目も合わせない母子ですが、教室に着いた途端、なーんか視線を感じ、一瞥をくれると、息子が口パク。
 「タイソフクワスレタ」
 隣に居たナツのママに、
 「取りに帰れと?」
 と、訊いてみたりする。
 「ま、そう言いたいんやろなぁ。」
 「絶対イヤ。」
 「私に言われてもなぁ。帰ったりぃな。」
 今一度、奴に一瞥をくれ、長袖か半袖かをジェスチュアで訊く。
 二の腕の方。
 ヘナヘナクネクネさせて、だるさをアピりながら教室を出る。
 戻ると案の定、チャイム。体操服を入れた袋を奴に投げつける。
 満面の笑みでナイスキャッチしてる場合か!
 と、言いたげに、中指立てておきました。


 夕飯の用意をして、私のツィギーの助手席に乗り込む。
 待ちに待った島田さん(元憂歌団)のライブ(於:キーラーゴ)。
 思い出すなぁ。一回生の頃、無類の憂歌団好きの義兄を誘って、学祭に来た憂歌団を聴きに講堂に行ったっけ。
 g,voのロメル・アマードさんは、デニムが物凄く似合っていました。
 このユニットは、その昔、セカンド・ソウルでもやったと聞いた。だから、三田の皆は、ずっと待っていた。
 マスターに又、言われた。「姿勢良いなぁ」って。「誰かに説教されてるみたい」って。うめ氏にも「真剣過ぎ」と言われ、私のツィギーにも「声もかけられないわよ」と言われた。
 それにしても、キーラーゴの音響は、いつもながら、いーなー。


 深い時間。
 セナがブラジルで優勝した歓喜のレースを引っ張り出して、観る。そして、その年の鈴鹿。“いい人”ベルガーとのワンツー・フィニッシュ。駆け寄るマンセルおじさん。
 94年5月1日のは、観ない。でも、その時、シューマッハは言った。「セナは目標だった」って。
 明日、シューマッハのラスト・ランです。
 息子に言う。
 「観とけ。」
 奇しくも、たまたま本棚にあった『F1紀行』を、学校の朝の読書の時間に読み始めたと言う。
 「マジで?」
 だから、一緒になって真剣に昔のレース観たのかー。
 聞くと、懐かしい名前がいっぱい出てくる。マジだ。
 「12時からだから。最後の走り、観とけ。」


 画像は、教室の賞状。
 運動会の総合優勝のと、競技部門優勝のとか。
 計4枚。