階下のレコのミックスはゆうちゃんパートが足元に響いて心地良し。
言わんやYOSHIKIの生演奏をや。
此処でこの状況で記すに適す。
至福なり。
デカルトに誘われた恩で言うのじゃないが。
情報は操作され、兎角、社会に利用される中で、デカルト本人は決して「人在りき」と豪語していたわけではなく、「色々考察するのだけど、そんな自分は確実に在るってのだけは確かなんだよね。それは。それからだよ。」って、そう言ってる。
西洋哲学に魅了され、ちびちびの頃から燻っていた己に従い扉を開いた誇りにかけて、それはそう思うのだ。
今、草木国土どころか天体そのものがひとつで、それが細胞ひとつと一であると確信している己が、毎朝毎朝毎朝毎朝シクラメンが可愛いのあまり近づき過ぎて窓ガラスに頭をぶつける件を由とするのも、行き着いた先が【灯台下暗し】だったっていう、オズの魔法使いみたいな、そして、まだ過程だという、阿、吽、そう、そこからなんだよねっていう、やっぱり、西洋哲学も未熟な人間的な愚かさも愛おしいし、でも、やっぱり仏教は或る意味真理だと思うし。
でも。
Ryancの表現こそが真理であったと確信しました。
先人達に感謝。
梅原猛先生ありがとうございます。安らかに。
そして。
現身に感謝。
自分の魂よありがとう。
これからもよろしく。