「もうどうだっていい」
と、思った時に大切な存在が現れることはある。
若き日の美しさを想像した時
その愚かしささえ
輝きに満ちています。
好きだ。
juriです、こんばんは。
色々なあれこれを経ていない分、汚れていないという汚点を背負って、否、背負わされてきたわけです。
それは無垢からは程遠いもので、遥か幼少期にまで遡って汚らわしく蠢くのです。
憧れるは青春の罪。
そして
激動の時代に常なる俯瞰にて定点観測の折々に、清々しく振り切った罪の数々を見過ごしてきておいて、清廉潔白を謳うのでしょう。
知ったスタートのキミの49は
今の私の49とは
明らかに違う。
しかし
この9年間のうちに、己が何に固執してきたのかを知ることができた。
「散りばめられた私の文字」は一人歩きをしてもいいのだろう。
囲う必要もないし、どこへ行っても誰のものにもならない。
例えば
Ryancのコピーが真理なのだ。
言葉が音の衝動を呼び MIDのvoiceが無二のsoundに包まれる。
魂の融合....
それはここだけにしかないオリジナル....
あの時代に会わなかったからこそ
叶う
表現なのだ。