art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

自生する鶏頭を手折る美しきひと・・・と。

rubenjuri2015-11-02

2days Live の前と後にお墓参りをと思っていた。

十重二十重に鶏頭のひとひらふたひらなぞり
     二差/Ryanc『胎路』

ママは分け隔てなく容赦なく万物に平等に事務的に排除する。
嘉事氏をして、「哲学なくとも生きるという哲学者」と言わしめるところ。


お墓参りを終え、もう一つ、同じ出雲市内でどうしてもしておきたいことが。
珠里と名付けた叔父に絶対に言っておかないとならなかった。
少女期に号泣しながら叔父を両拳でバカバカと叩きながら責めてしまったことがあり。
「用事がある。私は珠里という人生をとても気に入っている。ありがとう。珠里という名の人生を素晴らしいと思って生きている。それはとても早い時期から。思春期にはもう既に噛み締めながら生き始めていた。それだけは今も変わらない。」
「そうだろ?オマエは珠里でしかない。俺には確信があった。」
「小学校の全校朝礼の場面であれ、上司であれ、たとえどんな席であったとしても、私はファーストネームで呼ばれ続ける。」
「オマエは発展する。」
「そういうのじゃない。細々でもいいんだよ。」
「否。そうじゃない。オマエは発展するんだよ。」





ところで。
私はチビチビだったので、姉や兄は当たり前みたいに知っていたことを、今日、知った。
叔父の店舗の2階。
この、版画。
「え?珠里、知らなかったっけ?え?あれ?」
姉が今更のように。
「あれは俺の。」
「えーーーーーーーー?」
慌てて改めて観に、2階へ。
「だってお金がないだろ?若い頃。店をやりたくても。なんと俺はこの2階を650万で作ったのだ。だって、画は俺がやったんだもん。」
「どうやって描いたの?」
「ん?本みて。」
「素材は?」
「和紙だよ。版画に合う和紙。」


ふつーに、物心つくころから、この立派な有名店の2階大広間で、法事の後の、方丈様を交えての会食をしていた親族の中で、ただひとり、方丈様と私だけが、オーナーシェフが手作りした版画の間に通されていたと知らなかっただなんて。


「ねぇ、お姉ちゃん、この版画、何?」
「女性はムーランだよ。私もその本見たよ。物語も載ってたよ。」


本って。
本って、専門書じゃなくて、本かよ。
ガチ、本なのかよ。