art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

連綿と

rubenjuri2016-02-27

ヘルン先生はよくぞ鳥取を経由して松江にいらしたことだと思います。
何故なら松江には盆踊りはないからです。
盆踊りは封印されたのだということを、姉に11月に聞き、驚きました。
まぁ、それは別件。おぞましい別件。
松江に入る直前に、ヘルン先生は鳥取でたまたま不思議な音を耳にし、通訳の促しで盆踊りに導かれたとのこと。
魂というテーマに突き動かされる先生。
当時の日本人の優しい眼差しを
今の日本人は持たないかもしれない。
居場所は此処であると先生に判断させた何かは
今の日本にはないかもしれない。
母に捨てられた先生にとってのノマド的な青年期までをストップさせた日本人の癒しの佇まいを
そんな情緒を
漂う子供に懐かせていけるのだろうか。
甚だ疑問ではあるがDNAは続いていくと信じようかな。
醒めることは、だって、あるもの。
先生が日本に降り立ったのは4月4日。
日本の子として生まれたのだなぁ。


juriです、こんばんは。


昨夜は、寝入り端1時間というところでとーとーにエントランスに下りてくるようにと起こされました。
食材が皆無になってしまったので、朝から絶対に買い出しに行こうと決めて床に入ったので、「せっかく起きて玄関出るんだからコンビニで揃うものだけでも、買いに出るかー。」と車のキーやらお財布やらを持って階下へ。
寒いので車に入るようにと言われたので「コンビニ行くつもりやねん」というと「じゃぁこの車で」ということになり、セガレと3人で。
野菜のところに直行したら、やっぱり時間が時間だけにほとんどない。それを全部カゴに入れていたら、どんどん他の物も入れながら「気にせず何でも買えや〜」と。
セガレなどは超大盛りペヤング?をカゴに3個も入れられていました。ま、俺様が買い与えることのないものですので。
「何を買おうかというプランを持って出てきたんか?」
右往左往しているので訊かれる。
チビチビの頃、よそのおっちゃんに「何でも選びぃ」って言われて悩んで悩んでおまけ付きチョコレートを選んで買ってもらったら、おっちゃんがママに「この子はうちの子や親戚の子らと違って、何でも選べって言ってもカゴいっぱいにはならんなぁ。」って言っていたのを思い出しました。
「だって1時間寝て起こされたもんで」と言ってごまかす。
カゴ3つが満タン。
茶葉ラインナップが2種類しか揃ってないという現状にも不安を覚えているところではあったが、遠慮。
遠慮していたらコンビニ惣菜やハーゲンダッツなんかをレビューしながらどんどんカゴへ。
お支払いをしていただき恐縮しきりでおると。
「2人で松江に帰ってこいや」と、2人分の片道分を。
いやー。帰りたいのは山々ではあるんですがねー。
ありがとうございます。近々、必ず。
とーとーバブルを急に体験して戻り、セガレに、
「で。結局、何で呼び出されたの?かーさんは。」
「松江に帰れと言いたかったようだ。」
あ、なるほど。



そんなことより。
電話では8年の間に数回話したが、8年ぶりに会って、「おいおいー。暴飲暴食してるっぽいとは思っていたが、想像以上だなー。」と、えらい心配になりました。
全部己の我儘で家を出させていただいたので、口出しはできませんが。
一緒にいるジジやチャーちゃんは、徐々にのことだからわかんないかもなぁ。
チャーちゃんのご飯だけを食べていたら健康で居られるだろうに。
んー。


んー。




さて。
ヘルン先生のことに戻りますが。
魂をテーマに“ゴーストリィ”な世界観で作品を紡いでおられるのは
先生にとって
祖国が戻るところとしてのソレではないという俯瞰であろう。
もしも先生に、愛ある母が存在し、戻る祖国と家があったのならば、日本での薄ら恐ろしい“ゴーストリィ”な体験の数々を、あんなにまで淡々と、感じたそのままの的確な表現で著すことなどなかったのではないかな。
むしろ、たちまちに望郷の念が湧き起こり、逃げかえりたくなっていたことだろう。
共存と共感。



連休に入った。
3連休。
次回は、大学時代に受講していた何かの科目の教師が言ってたセリフと、その昔のヘルン先生の見解とを比べ、そして、その時代に日本人が抱いた西洋人の印象も踏まえて考えていきたい。



今日はこんな感じ。



今日届いたココナッツバター。
そのまま食べてみた。
ひと瓶食えるうまさ。
明日のトーストが楽しみ。