art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

アウトプットへと

rubenjuri2016-03-01

朝からおmisaとフロレスタ。
期間限定のイチゴミルクの時期にしか通っていない現金な客、juriです、こんばんは。
一昨日もギタラーとyavz氏と打ち合わせで来た。
おmisaにそのままdoor to doorで送ってもらって職場in。
ありがとう
ジュテーム


チビチビ期にうっかりテレビで観てしまってトラウマになるほど怖かったヘルン先生の怪談のひとつがあります。
未だに怖い。
未だにランキング1位です。
ホラーや怪談などには一切触れないし関わらないことにしているので、ランクをつけること自体ナンセンスではありますが。
例えば、大林宣彦監督のデビュー作『ハウス』は、リアルタイムで劇場でうっかり観てしまったけれども、映画全体のランキングのトップ3に入ったり、例外もありますが。
12年目に突入した『art-P capsule』ですが。この11年間で、『ハウス』のことを述べたのは何度となくあったかと思います。
もとい。
ヘルン先生のその或る怪談は(タイトルを知らないのか、忘れたのか、ごめんなさい、鈴の話です。)、先生の生い立ちを知ると、とても得心が往き、辻褄が合うので、この歳になり、怖さ軽減。
それを踏まえた上で、先生のまた別の怪談についてを考えると、怪談であるのに愛しか感じないあたたかな印象の話についても得心が往くのです。
母が自分を置いて去ったのには止ん事なき事情があり、彼女にとっては苦渋の選択であったのだと思っているヘルン先生は、父に関しては、深い憎悪を抱いて赦さなかった。
母は夫からの愛情がなくなっていることに気づき、父は他の女性のところへ行ってしまった。
諸悪の根源という意識なのでしょうね。


生い立ちによる憤悶が作品になるまでには、放浪の先にせつさんという伴侶を松江の土地で得るまでの長きがあったようです。
作品として表現するのには、気が熟すという瞬間がありましょう。
とてもわかります。
その時期は早くに訪れるのか、長年経て来るのか、晩年にならなければ来ないのかはそれぞれでしょう。
先生にとってのそれが、怪談を生み出した松江の時期だったのですね。


それにしても、これでもか!という残虐性。
父という同性が持つカルマに嫌悪していたのでしょうねぇ。


ママ一筋に愛したパパなのに、それでも兄はパパという存在に激しく嫌悪していたのだけども。
まーね、あの方ですものね。


それにしてもヘルン先生にとって、せつさんという妻の共同制作者ぶりたるや!