art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

rubenjuri2015-11-30

水木先生も
やなせ先生も
居なくなることに強烈に不安を感じておりましたが。
居なくなるってーと、そりゃぁ、青二才がごねたって、百戦錬磨乗り越え渡ってきたおふたりを引き止めることなどできっこないわなって、妙に納得する。


戦争体験をガチでされてきた表現者が居なくなってしまうというところで、おそらく、どっち向いてけばいいのだこれから俺たちはって、そういう不安にかられるのだと思う。
ただ、現身は無く表現を目の当たりにできなくなったこれからこそが、遺った作品の魂の躍動をそれらからダイレクトに掴むチャンスなのだと解釈する。
しばしば作品は一人歩きをする。
しかし作品は作者の顔色を見なければならない。
「『鉄腕夫婦』はそういうことじゃないよ」なんてナンセンスなことを俺は言うことがある。
作品は子供なのだとしたら、投じられた我々が受け止めて咀嚼していくことができる。
がんばれ俺たち。
アンパンマンはやなせ先生の肩を抱き、同志としてワインディングロードを歩いていた。
でもアンパンマンは飛べるのだ。
水木先生の片腕としての鬼太郎の片目の父さん。
遥かラバウルの戦地は、現代に置き換えると、そこ、ここがそれに匹敵し、だからこそみんなで知恵を出し合って性善を帰納させていかなければならない。


嘉事氏の魑魅魍魎のみなさんはブラックライトに反応し蠢いている。
我は不幻童子なり。
「作品はおまえの手を離れた瞬間から一人歩きをするのだ。観念せぇ。」
我は不幻童子なり。
嘉事氏があの日諭した言葉を胸に誇り高く生きる。


パクられても
もってかれても
俺は俺だ。
「喝!」