art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

残暑を楽しむくらいの佳い気候

rubenjuri2015-08-22

お守りのピックを受け取れなくても、お母様のハンカチがあるので本当に安心して一つ一つこなせます。
ありがとうございます。
今日明日は2daysでリピーター様自治会の夏祭りです。
今日と明日は別のクライアント様なのですが、隣接する自治会なので、今年は梯子感満載。多分、地域の人たちもそんな感覚かもしれないですね、今年は。
今日の現場は。
去年に引き続き、ブラボーしろうさんとご一緒させていただきました。
画像は、
珠里ポーズのしろうさんと、しろうポーズの珠里。
なかなかない、換えっこパターンのショットです。
嗚呼、楽しかった。
丸々一日、長丁場、お疲れ様でした。
ありがとうございます。



えー。さてー。
まだあるんですがー。
ええ。思い出しております、ええ。ええ。
「もし今、はやしを呼んで、男子の方のはやしが返事をするとする。」
講義中に急に自分の名前が出ると驚く。
「この場合を恐れ、同じ苗字の者がその場に複数居れば、ファーストネームを呼ぶだろう。おそらく、はやし1、はやし2、とは、呼ばない。」
前後を本当にさっぱり憶えていない。
きっちりノートをとっていて、黒板以外のことも記していたのに、どうせこの有様だ。



「S先生、京大生時代、ノートなんて一切とらなかったらしいよ。」
クラスメイトの女子が噂していた。
天才ってそんなものなのよねーと、黙って聞いていた。
Wikipediaで見ると(すごい時代だ)、先生は“日本の哲学者”と、ある。
先生のパーソナリティに触れたことがあるひとりとして、哲学者の概念が覆される想いに陥るのは何故だろう。
或は、哲学とは・・・と、ここまで遡りイメージをリセットする必要があるのかもしれなくなる。

先生とて根源は同じなのだ。
何かに突き動かされて学問へ誘導されたのだ。
悟ったわけでもない。
悟ろうとしているわけではないからもがいていない。
もがいていない?
まさか。
ただ
フツーに
自然体でいるしクールを装っているわけでもない。
ニーチェ愛も溢れているだろう。



ただ、
覆すよね。