art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

『fast car 〜w/juri〜』

rubenjuri2015-07-30

「juriさんがちょいちょいいいパスくださったのに一回も取れなくてすみませんでした。」
なにそれ『さんま御殿』の楽屋か。


先日の8人でのホテル食事会についての猛省をしているカワヒーがオモローでした。
大御所さまと絡むのはみんな辛いのだろうし、俺はそうでもないから、ひとりで展開していただけなので、みなさまお気になさらずに。


juriです、こんばんは。




チビチビふたりを連れた若いママとそのご両親にお目にかかりました。
上海から彼女に会いに日本に遊びに来ているご夫婦でした。
「私がこちらで出会った友人は、アナタと同じで1度も日本から出たことがない福建省の女性で、祖父母の写真だけを持って、何の手がかりもない福建省に渡って親戚を探して歩いたのです。そして、写真を見て覚えている人たちがどんどん増えて、突然日本から来た見ず知らずの初対面の親戚を名乗る彼女の為に、三日三晩、大宴会でもてなされたということです。」
『fast car 〜w/juri〜』を現実で叶えた女性がいることにHow Wonderful......


祖国の人たちは、一切祖国語が話せない私を我が子と会ったように感動し優しく接してくださいます。
生きてきて、本当に何度もそんな経験をしました。
否きっと
それは国ではなく、人間の生態なのだと実感します。



此処でも記したかもしれないけど。
女優の故、范文雀が、祖国を訪ね歩く番組があった。
生きているうちにそれをすべきだと、己も思秋期に、それを観ながら思ったな。
祖国を想い召されただろうか。逝ってしまった時には、それが出来てさいわいだったのかも、と、思ったものだ。


先日はAラキダの娘が2歳の時に日本を去って以来の帰国を19年ぶりに叶えた。
それも、物心つく以前に別れた父の道、現代アートの道を選んで。


土地とは。
宇宙の意思であろうとわかる。
祖先がどのような行いをして国を後にしたかで子孫は試されることになる。
確実にそれを意識して表現し
自己実現は続けていく。


満月イブですし。
きっと宇宙が出会わせてくださったご一家なのだ。
「それじゃあ、お子様たちはハーフですね?」
「そうです!」
「すてき。私のセガレもそうなんですが、私がこの通り中国語を話せませんし、両親も話せないので、自分で大学で少し勉強した程度のようです。」



己もまたバトンを渡す。
渡したい。
そのために続けるのだ。


乗り込む日が
いつか。