art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

イメージ

rubenjuri2010-06-01

俺様らしさについて、まだぼんやり考えています。
レッキンの『解放区』は、Takashi氏からの依頼で書いたのですが、「俺のイメージで、カーステで聴いたらゴキゲンな感じの雰囲気で。」ってことでした。
でも、彼らのライヴで初めて聴いて、全然イメージとは違ったので、氏に聴いてみると、「あれはjuriさんですよ。juriさんの書く詞です。拭えないですよ、作詞家のパーソナリティのイメージは。」と。
イメージしていたスピード感は一切なかったけれど、とっても好みの曲調で、クレームのつけようがなく、同時に、私の詞ってのはこうなっちゃうんだぁ・・・って、不思議でした。
昔、C誌編集長K女史が、「juriちゃんはjuriちゃんっていう作品だ。」と、当時の部下のyasoにつぶやいていたとききました。嘉事氏に「なんかやれ」とやみくもに言われていた時期だったので、「○○をやれ」とか「手伝え」とかじゃなくて、「なんかやれ」ってのは、私のパーソナリティで以てってことなのかなぁ、と、数年かけて解釈してったという、それくらい嬉しい言葉でした。
まぁ、言った本人はもう忘れてるだろうけどね。
でも、創作活動を始めてって、映画も撮るようになったら、出資もしてくれたこともあったり、感謝です。
どの活動も仕事も全部つながっているのだけれど、自分のことは皆目わからない。
みんな、そうなのかもね。
全部そうなんだけれど、映画はひとりでは出来ないから、コラボレイトさせていただいて、音と、映像と、同時にどんどん出来て行く過程で、総合芸術の喜びをかみしめるという、SっぽかったりMっぽかったりする感じが、至福であり、例えば、「どんな曲がやりたい?」とか、そういう技術やさんみたいな感じで事を進めた経験がなく、それを強要されると、たちまちにフリーズしてしまうところがあります。
もちろん、こんな曲がやりたいなぁってのは思いますが、それは自分でやりゃーいいのであって、誰かとやるなら、「こんなん出ました」みたいなワクワクのサプライズが素晴らしくて、どんどん画やホンが出来ていきます。
まぁね、最初は憧れもありました。
でも、そういうのって、できそうにないし、技術やさんじゃないし、きっと、向いてないんだろうな・・・と、諦める。
自分って、どういう奴なんだろう。
自分らしさって、なんだ?
いくつになってもわからない。
誰に訊いても、昔から、「juriはjuriとしか言えない」って。
「違う星だからな。」って。
今度、Bに会うから、久しぶりに訊いてみよう。