art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

カナシミ

rubenjuri2009-02-02

居なくなっても、作品が残る。だから何でしょう。ジジーは居ないのです。作品なんて、だから何ですか。とっても重たくて大切な奴らに、おそらくジジーが中に居て、とっても重たくて大切な奴らに、関わる事なんて、もう、ないから。
「ああ、これで終わった。」って、奥様が言ったのも、「もう、会う事もない。」って、聞こえた。
昔。
奥様にひっついて、「いいにおいがする。」って、言ったら、「何いってるんよ。汗びっしょりなのに。」って、奥様が笑って、心の中で、「先生のにおいとおんなじだからだよ。」って、思った。
追悼展実行委員会で、アトリエを片付けて、設えを整えていた時、「ご飯だよ」って、みんなに言いに行ったら、umeに腕つかまれて、「危ない!」って、引っ張られた。丁度、おっきい石をクレーンで持ち上げる作業をしていたところだった。
なんか、邪魔なんだよ。
本人が居なくなって、おっきい重たい繊細な大切な貴重な作品たちだけになって、一層、役立たずで、チョロチョロしぃで、なんか、邪魔。
記念限定切手なんて、要らない。ちょっと、見てみたいけれど、要らない。
モーモーモーが神戸に行っちゃったって、連れてったのが誰だって、いいんだもん。あちこちに、きっと、ジジーが、増殖して、それで、いいのです。
こうなるシナリオを、自分で書いて、此処に居るのだから。
二度目の県美には、セガレについてきてもらおうと思ったけれど、座談会の日はセガレの受験前後で無理みたいだし、行くの、よそうと思っています。とっても寂しくなりそうなので。強がりじゃなく。
本当のさよならだね、ジジー
こんな事、くり返すのは、かなしい。
そう決められていたとしても。
意識が朦朧としていたジジーは、私を見て、「おお!おお!」って、しゃべれないのに、起き上がらんばかりに私を呼んだ。奥様が驚く程。
でも、
アナタは、いつか、私を見ても、誰だかわからない。
それでも幸せだなんて、かなしいです。
シナリオやぶきたい。