art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

引回しの刑

rubenjuri2008-04-04

 セガレが、誕生日は今年も(去年もだった)奇跡の完全オフだと言ったので、朝から京都に行ってそよかさんの個展と鴨川の花見に行こうと思っていたのに、前日ドタキャン。クラスの打ち上げが入ったとの事。打ち上げというネーミングが気に食わん。お別れ会とか、解散会とか、中二らしいのでドーゾ。まぁ、はっきり言って、中二の頃のまんまの母ですので(先日の同窓会もこの頃のクラス)、そっち優先は当たり前。とーぜん。まして誕生日に開催ならば尚更。高校から今の仲間と引き離そうとしているのは誰あろう私ですからね。ごめんね。
 でも、誕生日の引回しを近所に変更して良かった。母の住処と毎年の花見の場所と、長年テリトリーとしている地域と、自分がトライやるウィークで行っていた所と、大体の位置関係を把握できたようだった。
 11時半に出かけ、3時まで全徒歩で、春の三田散策。締めくくりはケーキでんがな。
 

 パパが生きていたら、今日で、何歳か?わかんない。そう、パパとセガレは今日、同じ誕生日。
 そうと忘れて、日曜日指定で、風呂で、お腹のセガレに毎晩毎晩「日曜日にしようね」と、お願いしていまして、日付の変わった零時ちょっきりに産気づく。まんまとパパ喜ぶ。
 「お?juri、京都の百万遍の交差点で、若者よ、待ちなさい、キミはいい嫁をとるだろうよって、言われたんだ、パパは。パパと同じ誕生日に生むのは、いいぞ!」
 あーうるさい。意味は一切わからん。あっちへ行け。イタタタタ・・・みたいな陣痛。大迷惑だった15年前。
 そうさ。アンタはいい嫁をとったさ。いい嫁過ぎて、アンタは髪結いの亭主よろしく放蕩した。お姉もお兄もそれを目の当たりにしたのさ。
 セガレはどうだろうね。さぁね。
 残念ながら私はパパが好き。「出来てもいっか」的に出来た8年ぶりの私は、パパ&ママに溺愛され、この有様。兄貴が逝って49日かけてパパん処に着いた頃、パパはリーゼントにスカジャン姿で私の夢に出て来た。「なんで、アイツもう、来たんだっけ!?」こっちが訊きたいです。急いで大島紬に着替えりゃいーじゃん。色んなコトをいっぱい背負っている第一子の姉んとこにはパパも兄貴も、もっと深刻な感じでしょっちゅう夢に出てくるのに、俺様んとこにゃ、パパはそれ一回、兄貴は皆無。どーせ、末っ子のバカんとこに出たって何のメッセージも伝わんないと思っているんだろ?ってか、パパにメッセージはなさそうだけどね。そんな、パパが、すきだ。そんなパパと同じ誕生日のセガレは、先天性のart-P保菌者として生まれた。
 今日、一緒に久しぶりに過ごして、なんとなくわかったことがある。
 以前、うたたんが言った。「家に居るjuriさんと息子さんって、怖いです。もの凄い低いテンションで黙って向かい合って座っていたのに、急に寸劇が始まったり、すぐその後に真顔で哲学的な事しゃべっていたり。絡めないです。」
 コイツ、AB型でやがるな?
 「なぁ、アンタ、AB型か?」
 「うん。そうちゃう?」
 「え?アンタもそう思うん?」
 「なんとなく。前から。」
 お願い、調べて。そしてすぐ母に教えて。


 脈絡もとりとめも内容もなーんもない、つれづれなるままなセガレの誕生日の日記でございましたが、AB型といえば、私の彼女のべび。
 べび。は彼女としては結構完璧な子であるが、今、熱が続いていて、うなされて、今日うっかり言いました。ギタリストの事をギタラーと。
 べび。は、それを熱にうなされながら悔やみ続けています。
 べび。
 俺様も、大学二回の時、ハスラーの事を、プロビリヤーダーと、言った事が、あるぜ。
 いつだって、俺とオマエは、一緒さ。
 そうだろ?
 ネムヒロ。
 そんなべび。を、よろしく。