あれは、
かれこれ7年前の夜でした。
部下ちゃんたちを全てとっとと帰らせて、
納得いくまでダラダラと要領悪く店作りしていた深夜の事。
電話のコール音。
「あっ!もうこんな時間だ。又セコムに怒られる。」
と、受話器を取ると・・・。
「おまえ、いつまでも何やってる。」
不夢不無御大。
それからは、
連日、
説教に次ぐ、説教。
時には、泣かされた。
一作目の映画を撮る時も、私はこの電話を思い出したっけ。
「何かやれ。」
あの一言から。
地元FMのリレー・インタビューで、御大はバトンを私に渡した。
「juriという危ういアーティストがおるんや。」
「何か」が映画と音楽だとわかると、御大は本当に喜んで、告知の場をくれたのだ。
その年の美術場が終わった時、
「よく頑張った、ご苦労さん。皆も本当によく助けてくれたな。」
と、御大からの手紙が届いた。
堅気の職場にもよく来てくれて、レディースのボトムを買ってくれたりした。
レディースなのに裾、自分で切りっ放して履いてたのが、カッケかった。
堅気の現場に居る私の事も、好きでいてくれた。
もし、アンコールがあったら、
切ないキモチいっぱいで、
捧げるよ。
居てよね。