art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

鈍感

rubenjuri2006-07-03

 6月27日に、商工会TMOのY氏から、今年も映画の出品の正式オファーが来たのは、当日に記した通り。
 「どうですか?進んでますか?」
 「が、頑張ります。」
 ここまでは既述であるが、その後、
 「それと、もうひとつ・・・。」
 「はい。・・・はい?何ですか?」
 「・・・。」
 「・・・もしもし?」
 「忘れました。」
 「ぇえ!?」
 「いいですわ。」
 「今年もよろしくお願いしますとかいってー、ホントは別に本題があったんでしょー?」
 「・・・ありましたけどねぇ、忘れちゃいましたんで、いいっすわ。」
 「マジで?ヤバイっすよ!」
 彼とは同い年なので、本題を忘れるのは、あり得る、なんて、愚かにも思ってしまった。


 そんな訳はないのである。
 そんな事は、私だけなのである。
 


 “縁”のN美さんが、仰った。
 「juriちゃん知ってた?Yさん、6月いっぱいで、退職だったのよ。」
  


 絶句。
 

 私ったら、表現で彼と喧嘩していた。
 それしか出来なかった。
 美術場に出品作家として参加するようになって、そういう歯向かい方が可能になった。
 男性が社会で抱えているものは、何となく感じる事が出来るけれど、本当の火花を散らしたくはなかった。
 一作目の映画試写会の後、握手を求めてくださった。
 それが関係性のターニング・ポイントだった。
 二作目で、完全に乗り越えた。
 三作目について、彼に色々と思いを告げられ、やる気になっていた。
 三作目は、彼をターゲットに表現し続けている。
 美術場当日の、彼の奥様と二人のお子さんにも、会うのが楽しみだった。
 彼が、当日を無事に迎えられてホッとした証拠だからだ。
 

 お互い、命かけてたのかも知れない。
 思い出すなぁ。
 ・・・、一作目、誰もが「映画なんて無理だ」と言って反対したのを、飄々と「やる」と言い続けたけれど、真剣に命かけようと思ったのなんて、初めてだったな。や、出来るのは根拠なく確信していたから、作る事それ自体にじゃなく、皆様に協力していただく事に。これは、おっと氏のお陰で、同じモチベーションで飄々と根拠を持って協力してくださった。私の根拠ない自信に対しての、おっと氏の根拠に基づいた自信は、説得力“大”でした。感謝です。
 皆様に、感謝です。
 Y氏に、感謝です。


 とりあえず、お疲れ様でした。
 「僕、アートピーの重傷患者ですわー。」
 これからも、お大事に、art-Pを。
 これからが、むしろ、お大事に、art-Pを。