ママが買ってくれた澤井珈琲のフィルターペーパーのラス1を使いました。
ママが買ってくれた消耗品を私は片っ端から消耗し続けていて、それは無限に続くとどこかで思っていたのかもしれないとしたら、愚かしいことです。
しかしそれくらいママは姿勢を正し、美と若さを貫く人でした。
消耗品みたいに徐々にってのはわかりやすくていいや。
ママの突然の掌返したるや。
一方で
ママがメモを貼ってくれていた付箋を20年以上も前から捨てられずにいたのは、無限ではないと覚悟し、その時を恐れて過ごしていたに他ならない。
現身での決別などは望んでいなかった。
果たせなかった親離れを、創作と表現で果たしたに過ぎなかった。
しかし、それが、言霊の為せる、反映なのだった。