Ryanのホームページにもその名が登場している幼馴染が三田の地に来てくれた。
実家が隣の隣のダッピ。
隣の隣なのだが隣。
で、わかるかな。
餅屋の長男と呉服屋の末っ子が同級生。
幼稚園・小学校・中学校と一緒。ヤバイくらい一緒にいた奴。
入園式にもタイツ履いて2人で写真に収まるくらい、一緒だ。
「優しい食事」のリクエストなので、女将のお店を予約!!お心遣いに感激!!
撮る撮る。いっぱい撮ったが、ごく一部を載せます。
珠里ポーズのみならず!女将のウインク☆ラブリ〜☆
希少糖のお料理は全て絶品で、食い過ぎた。
ごちそうさまでした。
それにしても高校卒業以来の語らいだ。
とにかく語らった。
それでも時折、親のことや仕事のことや。
時間が足りない。
また会おう。
父が2000年に逝って、本葬での講話を聞いてとんでもないことになった話題の最中。
「juriはきっと今でも話を聞く能力がすごいのだよな?」と言い出すので、「ん?」と、訊き返すと。
「小2の春の『スーホの白い馬』の先生の朗読の時。」
「あっ!!!!!」
「あれはショッキングだった。クラス全員juriには驚かされた。多分みんな忘れられないと思う。」
「先生もびっくりして泣きながら朗読してたよねー。みんなの反応に私がドン引きしたもん。」
「おいおいー。自分が驚かせといて・・・。話の入り方が凄まじいんだろうな。」
こっちもダッピの忘れていることをいっぱい引っ張り出してきてやった。
でもいい忘れたこともある。
ダッピのお母さんは、『できるかな』のテーマを口ずさんでいた。
「でっきるかなでっきるかなハテハテホホー♪」って。
おー。ママは鼻歌さえしないなぁ。その分、パパは終始歌ってるけども。
それで憶えている。
忘れていたエピソードは大量であったが。
特筆すべき最たるエピソードは、ほぼほぼ今でも思い出せないのだが、我が家の3階にあるリビングダイニングで家族全員で昼食中だった時に、ダッピが自宅の屋根の上を歩いていて、窓越しに目があったという件。
聞いてから数時間後、うっすら思い出した。
私は手を振ったような気がする。
ダッピにとっては何が気まずかったって、我が一家の食卓の、なんと私だけがシュミーズ一丁のあられもない姿だったということ。
「ブラするまでにはまだ微妙にチョイ至らない時期だしなぁ。なんでjuriだけあんな格好だったんだろうってなぁ。」
「あー。うわー。私ねー、平気だったんだよねー、全然。平気じゃなくなったのはかなり遅かったよ。んーとねー、中1くらい?京都の問屋さんに素っ裸見られてからかなー。“嗚呼、我が家には取引先のおっさんが来るんだった。昼から風呂入る場合は着替えも脱衣場へ持って行こう。”みたいな。」
「うん。平気そうだったわ。確かjuri手ェふってたわ。他の家族も、あら、まーちゃん、みたいな感じだったもん。」
しかし、その時は何故、ダッピはそんなイレギュラーな“屋根の上を歩く”という心境だったのだろう。
全ては細かく掘り下げられぬまま、ただただ、思い出を貪り、近況を挟みつつ、あっという間に終電の時間に。
この日、ふじ眞にお越しの皆様、女将、座敷のお部屋が出雲弁で溢れてしまったことをお詫び申し上げます。
女将を名前で呼びたい今日この頃の、juriです。
おやすみなさい。
あ。
此処で色々記し始めた12年前くらいの頃。
夢でダッピが出てきたので、その日は記しておいたと記憶する。
ふたりで畦道を歩いている。
大人のくせに、少々ピターッとしたちっちゃめの体操服。そう、中学時代の。ダッピは短パン、私はブルマ。
随分と長く何もない畦道を歩いてたどり着いた先は、やっぱり予想通り、学校だ。
廃墟な感じの体育館。
目覚めて、夢占の本で調べたけど、内容は覚えていない。
次はダッピと、プラス、チャキも一緒に語らえたら面白いだろうなぁ。