art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

おてがみ

rubenjuri2017-10-18

セガレに8月にもらってた牡蠣のアヒージョを食べます。足りなければ、隣のお茶漬け、これはMAMIの妹ちゃんからのプレゼントの、隠岐のお土産です。
チンできるし湯煎もできるアヒージョでしたが。

湯町窯のエッグベイカーで、火にかけました。
美味しかったです。
ニンニクも効いていて、キノコも入っていて、ペロリと食べました。
残ったオイルでそのままエッグベイクしました。チェダーチーズもたっぷり投入して。


juriです、ごちそうさま。



リーダーが作ったRyanc一筆箋で、松江公演のお礼状を書き始めております。
松江のお客様は、全員が芳名帳に住所も書いてくださったからです。
こんな温かな気持ちになったのは久しぶりです。
尖っていた奴ほど人一倍にこやかで優しくなっていたりすると、感動して、ずっとずっと、そのことばかりを考えていて、筆を取らずには居られないという衝動が納まりません。
私は物書きであるという事実、現実、真実をここまで痛感するのは初めてかもしれません。



忘れていました。



例えば、シナリオや原稿は今も手書きでなければならないとか、そういう自覚は常にありますが。



それとは別に、Web社会の便利さに助けられながらも、この衝動には勝てないのだなという実感。
もの心ついた頃には既に便箋と封筒を常に持ち、お手紙をポストに入れていました。
「みゃんちゃんはまた誰にお手紙書いちょーかね?」と、呉服店のカウンターでママにちょっかいを出されつつ。
紙と筆を持たせたのはママなのかな。
でも、はっきりと憶えています。
従姉妹のひろみちゃんに4歳の頃には宛てていたし、松江公演に来てくれた幼馴染のダッピには何通出したことか。



お手紙を書くのが楽しくて仕方ないので驚いています。
ピアノを始めたのが4歳。
ピアノの先生に将来の夢を訊かれて「小説家」と即答したのも4歳。
産みの作業はリーダーの言うように「魂を削っていく」ことで、それも己だと誇らしく思うけれど、お手紙はこんなにも楽しい作業だったのだっけか。
書くことはどれも私には素晴らしい行為で、生きることそのものだけど、お手紙の楽しさをメールの便利さで忘れていたのかな。
否。
そのおかげで再認識できたのだ。そしてこれからもメールの便利さには大いに助けていただき、支えていただこうと思う。



松江公演はいろんなことがわかるツアーだった。