最終的に言うだけなんだよな。
結果として、そうなったということなんであり。
「楽しかった」という感覚は、最後の最後にしか湧いて出ないのだ。
額の銀幕には瞬間にまず構築されていて、そこへ目指していくのは辛いことと苦しいことしかない。
しかし続けるのは仲間がすごいことをするってことと、そこに向かっているってことと、その過程が愛おしいということだ。
楽しくなんてできっこない。
終わって
「楽しかった」と心の底から湧くのだ。
好きではなく嫌いかもしれないが、否、嫌いという概念に語弊がめっちゃくちゃあるのだと思うが、せずにはいられないことを或る程度我慢してきて、そしてたまに爆発させてしまって、というコトであったり、理想は、せずにはいられないのだからし続けたいのだが、なかなかそうもいかないからこその満を持す結果になって、それもまた由としているからこそ伴う苦しみだから、その時は辛いけど終わったらえらいことになっていたのだけど目の当たりにできなかったやつ残念でした!みたいな。
目指すものにより近く仕上げようとし、近づくと美しい。
まずはイメージからなのだ。
2004年の処女作は
2003年の夜
5分もかからずに頭蓋に出来ていた。
楽曲は奇跡だし
仲間は奇跡だ。
お月様。
宇宙。
ありがとうございます。
今宵の晩餐は、豚肉の和風ハニーマスタードソテーと、クワトロで作ったコーンスープ。
美味しかったです。