art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

律戒

rubenjuri2015-04-01

実家は浄土宗だけど、私はその有り難い講話を拝聴するために浄土真宗大谷派の大学で勉強をしたのだな。


物事には意味がある。
方丈様が講話をしないことも決していけないことではなく、お人柄はとてもいいと知ることになり。
父が逝った時に方丈様が寄越された松江の住職様の講話に、まさかの号泣をし、後で叔父が「珠里の膝に涙が勢いよく落ちる音が止め処なく聞こえていたのには驚いた。」と膳を囲んで皆に言ったのを覚えている。
母も姉も兄も放心状態だったから、気丈に笑顔で奔走して全てを裁いた。
姉に生まれて初めて「ちゃん」付けで呼ばれた数日だった。


彼に絵本をプレゼントしてもらった時。
頁を捲りながら、それ以来の涙を落とした。
膝の上にはビニール袋があり、凄い音がしていた。


遥かに遡り。
高校時代。
チャレンジャー号の事故を知らずに下校してきた。
ニュースに驚き発狂。
1時間半ほど狂乱し、号泣した。
あの時のママの佇まいを憶えている。
あなたの業の深さと自分のやり場のない虚無感。
世の中の性善性悪。


どこへいくのか


二差が
二差で
二差の作詞者としての
二差の作曲者としての
二差の表現者であるための
祈りが救いとなっている秋以降


間違いではなかった。
導かれて此処に居る。
ありがとうございます。
祈ることとみつけたり。


あそぶようになりわうことなしに
なりわうようにあそぶことなしに
何ら実現はしない
楽しみを突き詰めて苦しむことが至福の真理であり
極めた者だけが到達する高みを見るのだ
仕事とは
そういうことなのだ


チビチビの頃から思っていた
「楽しければいい」という愚かしい思想が
突き詰めた娯楽を受動するに甘んじるに値することを
能動の苦しみがやがて幸福という苦しみを産む
どこへいくのか
球を追うプレイヤーが声援に押し上げられるとしたら
自らの道に沿うたからなのだ


淘汰されても翻弄などされるものか
楽とは苦なる。
そこに還るところがあるのだ。
楽を極めるものだけが
苦を乗り越えられる。


まさか
わたしの言の葉が
あなたのそれとともに
あなたの弦の調べとともに
おかあさまのみちゆきをお供させていただけるだなんて。



やっぱり。
それが
今生の過ごし方だね。



ママありがとう。




ふたりのイザナミ