art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

隠元禅師の姿

2014-10-19

ポールに行った。
何も知らない。
それなのに確かに華僑の子供だ。
「珠里が生まれる時に、この度、子供が生まれるからということで買った。」
姉が1枚の画を指差して言った。
「うち(実家)の人たちはいい加減だな。何でもかんでも大事にとってはおかない。あの画はどこにいったんだろう。」
みんな何故此処にいるのか。
あの時に書いた歌詞はこういうことだったのだね。


今日はポールに初めて連れてってもらうので、地元の天神様のお掃除には参加できない。
それは何故だろうって、何日も何日も前から考えていた。
このパワースポットに住まわせていただける運びになったのは、天神様や出雲のサミットや宇宙、細胞すべてのお導きで、多分、今回お掃除に参加しないのにも意味があるのだろうと思うのと。
先日の天神様でのことなどでココロがはばかられる感じでもあった。
お掃除と言ったって、ベテランの年配のみなさまに紛れて青二才がひとりで邪魔をしているようなもので、大して役にも立たない。人見知りで黙々と誰とも絡まずちまちまと作業をする。それでもひとり、ふたり、話しかけてくださる顔見知りも居て、そうすると懐いてお手伝いする程度。
天神様が「今回は来なくていい」と仰せだったのかも。「そんなことよりもルーツを目の当たりにする時期と識れ」と。
イメージの事。話に聞いてきたこと。それを咀嚼してアウトプットしてきただけのこと。
此処に
在った。


ざっくりとみんな同じ顔の中にも、どうしても目の離せないオーラの人が其処、此処に。
「あの人は親戚だと思う。どうしても。」
広いお寺の敷地内で何度も光を向けてくるオーラがある人が、其処此処に在るのだ。
冥邸の中の遺影にも、きっと繋がりがあるのだと思えてならない姿が、何人も。
若い女性の参拝の方が手の甲にタトゥーをしていた。
「おばあちゃんと同じところにタトゥーをしておられる。」
姉とお互いに確認事項を交換していく。
隠元禅師は少し上目遣いでいたずらな目を向けてくださっていた。
「どうだい?」なんて仰ったかな。

獅子舞は、頭を噛んでくださりながら「ありがとう」と仰る。
こちらが言うのではないのか。
「お姉ちゃんも言われた?」
「言われた。」
お姉ちゃん、完治するね。
ありがとうございます。
獅子舞は瞬きがとても可愛く美しい。
エンターテインメントのルーツを感動しながら識りました。
ありがとうございます。


姉は3歳くらいの頃に1度だけ参加して、しばらくトラウマだったという。
「でも時代の流れで民族が同化してるわ。」
それは仕方の無いことだとしても、『stand still』の歌詞のように「頁を遡る」ことが出来るようにしておきたいものだが。
来年はセガレにも来て識ってほしい。


ひとつだ。
ルーツを識るとはそういうことだ。
宇宙は細胞だ。
あなたはわたしだ。


あらそいはフモウなんだ。


全員やさしいのだ。
それが
宇宙のいとなみなのだ。


ありがとうございます。