art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

今日とか明日とかの日本

rubenjuri2012-12-14

もう何年も何年も昔にumeに連れてってもらった焼肉店、らくまんさんに、ふたりのお兄様と行ってきました。
若かったのね、そしてもうあの頃のようにたくさん食べられないのね。
ちょっぴりだけで満足しました。
ごちそうさまでした。


え?
その後お寿司も梯子しましたが、何か?
や、
お肉をあんまりたくさん食べられなくなったってことです。
ええ。ええ。


ケーキも食べましたし。
ええ。



帰宅後。
ちょっと素知らぬ顔をしながらも、考えていることは選挙のことですので、各政党や各候補者のフライヤーを反芻みたく見比べていますと。
セガレの意見を聞いて愕然としました。
ショックです。
だからと言って何も反論はしませんけれど。
一択だから。
ただ、見てただけ。


兄さまたちと自分とのほんの一回り分の時代の違いが心地よい私ですが、今日、DEREK兄さまと話していて、丁度いい具合に“もうひとつ”な時代の“もうひとつの申し子”的な自分が、“もうひとつ”だからこその何かをやってかなきゃなって、思ったのです。
もう、終末みたいな島国なのです。
こんな風になっちゃってるんですよね、日本って。
手をこまねいて見ているしかないなんてヤバイを通り越している。
議論に値しないことをまだ、まだ、言うの?
嘉事さんは、こんなことになった日本をどう言っただろう。
愛する人とひとつ屋根の下で暮らしたい」
これが被災地のみなさんの想いだと言うのなら、なぜ、まだ、こんな茶番を繰り広げられるのだろう。
苦労が嫌なのじゃない。
ひとりでする苦労が辛いのです。
愛する人とひとつ屋根の下で一緒に居られたら、どんな苦労も平気って、いつも、思います。
実は。
実は、今日も、仕事中に思っていました。
そうだ。
苦労が嫌なのじゃない。
愛する人とする苦労なら、したいって。


三田の花火の為に募金箱にチャリンってしてくれたチビチビとか、守りたいもん。