art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

ゼロ

rubenjuri2011-09-11

セコムに叱られて慌てて店を閉め、別居の為に借りた誰もいないアパートに車を走らせていた、KIDSショップの本店路面店店長だった頃のあの日。時間を忘れるほど自分の店を必死で守っていた10年前。
カーラジオから聴こえるニュースの意味がわからない。
ビルがテロ攻撃で崩壊って、なんだ?旅客機で?全然画が浮かばないけど、なんかいい知れぬ恐怖を覚えました。
TVは要らないので、なかったし。疲れていたし。セガレの事ばかり考えるから、仕事の事しか考えないようにしていたし。
阪神淡路大震災の時は、MCの勉強を猛スピードでしてオーディションを一発でパスして、半年でのデビューをしました。
何かがないと腰が上がらないという意識もないけれど、これも、一事が万事、細胞のみなさんがおケツに火をつけるのかもしれません。
自分に必要なのはセガレだ。
それは第一ですが、「オマエいつまでも何やっとる」と、セコムでなければ嘉事氏が剣幕で電話してきました。セコムのそれとはもちろん違い、「表現者juriはセガレを置いて表現を放ってMCもしないでこんな時間まで店で何をやっとるのだ!」と、怒っていたのです。
店作りなんて終わりのない仕事です。だから、本当にデキル仕事人は、残業なんかしないで、定時の時点の出来を次の日のプレゼンとするはずなのです。
あの頃の、嘉事氏とセコムに感謝。
ビルには、我が故郷の山陰合同銀行も入っていました。「I LOVE YOU」って、ビルん中からたくさんの人が電話をしたとききました。
守ってきたショップはとっても繁盛して、コンサルも視察に来たけれど、あんな仕事の虫は今思うと滑稽です。
セガレに謝って、当時の配偶者に頭を下げて、帰宅。
セガレとは抱き合って号泣嗚咽しました。
授乳期みたいな関係にもどりました。


あれから10年だとは思えないけれど、周りを見ると、横でジャイアンが幸民ビールを飲んでいて、仲間がいっぱいで、セガレや嘉事氏や仲間のみなさんが居てくれたから日々を過ごせたのだと知ります。
今宵は満月様のお出まし。
新月様に願いを打ち明けた反芻をしました。
遡って感謝して進むのだ。
幸民さんにもありがとうございます。
私ゃ飲めませんけれど。