「手を離れると一人歩きする」という言い回しは嘉事氏が男性だからだろう。『鉄腕夫婦』を上映した後にいただいた彼からの言葉を反芻する。
その時は諭すように言われたから響きはストレートだった。
女である。
そして、
作品として仕上がったらそれ以上も以下もない“映画”と、作品を表現する毎に違う“LIVE”との、活き方の違い。
一人歩きをしていても、親は自分だった。
例えば。
カルメンマキのようにビジュアルでわかるエキゾチックを憂いと糧に表現する壮絶も、そうではない己の実存のワンクッションも、それぞれ、幸運なのだ。
好き嫌いが似ている。
生活していて、楽。
愛している。
フレンチトーストで始めるから。
味覚と趣向の安心感。
生まれたんだね。
ありがとう。
呪縛が棲むとすれば、それはどうにか解放される。
愛する人を秘かにみつめて護っていたその瞳を信じましょう。
みんな一緒にいきましょう。
そうしてきたよね。
ハリーと共にちびちびから成長したセガレみたいに、めくるめく様々な心模様が見え隠れしたって、寄り添ってはいるのだから。
とまれ。
己の鎧に感謝することもある。
演出の効果もあったのだし。
さらけ出す内省も基本としていても。
たくさんのみなさんに支えられるのが人生だよセガレ。
アランの愛の演技を観ただろう?