「話があるから近いうちに会いに行く」
多忙なみ〜ねえ様からの数日前のメッセージだったが、「風邪はいいの?」とただ一行だけメールを寄越し、「大丈夫」と返すと「時間がなかなか取れないからメールで言うわ」と用件。
嗚呼、会いたかった。
話がしたいの、用はないのだけれど、もっと知りたいことがある。
もっと自由でいたいけれど、石頭が赦さない。
なぜ展開がない曲があるのか。
そんな曲を歌うときにはどんな心情なのか。
もちろん人生そのものなんてそんな風だとはわかるのだけれど、或る枠にはめようとした時、表現者は筆者・作曲者との疎通と己との折り合いをどうつけていくのか。
おさむおにいさんのそれとは違う。
だから、知りたいのです。
ダイレクトにぶつけたいのじゃない。
時間を少しだけでもとって、テーブルを囲んで語らいながら、知っていきたいのです。
ねぇ、弟よ。
長靴の足首のあたりでカチョカバロが作られる。
飲んでしまったっていいくらいのエクストラヴァージンで味わうのよ。
瞬きを繰り返すうちに人生が終焉へと向かう。
それをどう伝えてったらいいのだろうか。
知りたいのだ。
文化とはアグリーなり。