art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

Agua De Beber

rubenjuri2009-05-16

ママの話に相づち打ってるつもりが、わけの解らないレスの連続で、眠ってしまっていました。
ホーランエンヤ一色の旧市街地に、朝から繰り出しました。
私はこの旧市街地で生まれ、大学進学までを、この旧市街地で過ごしました。
ホーランエンヤが再開されたのは、高校生の時。その前に開催されていたのは、生まれる随分前だったのだろうと、勝手な思い込みをしていましたが、姉曰く、「6年生の時に開催したっきり」との事。私が2歳の時だったという事です。やふぁ〜。(←セガレ打刻、遡り更新につき。)姉にしたら、自分の干支で覚えていれば良かったのに、再開したら丑年開催になってたって。ま、姉の干支は発表しませんが。
umeが起こしたムーブメントを近くで目の当たりにした感動とは全然別に、どうしても観たいとう衝動でバスに飛び乗って帰省した故郷の祭ですが、祭の継続は、大変なのだなってのと、祭は政なのだと思うってのと、こんな壮大で大規模な祭が、松江には1年中で何個も開催されるってのがスゴイってのと、なんか、沢山の思いが押し寄せました。これも、おとーとの偉業の所為ですね。ありがとうございます。
松平不昧が茶の湯を愛したように、此処の人たちは、此処の水を本当に愛していて、別名を水郷と呼ぶ意味が、今までも十分に身を以てわかっていた筈なのに、ホーランエンヤの神事に立ち合って、涙が出る程、承知しました。
祭の意味。「だれのまつりやねん」というのは、umeムーブメントのコピーのひとつですが、私は、故郷を、誇りに思います。
思いが溢れ過ぎていて、今は、ざっくりとしか言えませんが、追々、此処で述べさせていただきたいです。


午後。
「絶対、ホーランエンヤの時に帰省しよう!」と決心した引き金になったのは、今日がパパの、明日が兄の月命日だからでしたから、ママと、出雲まで、お墓参りに行きました。


とにかく、水が素晴らしいから、何を食べても美味しいし、あんなにシャワーのお湯が痛くてトラブってばかりの肌が、実家の湯船につかった瞬間に癒え、痛みもかゆみもその一回の入浴で治癒してしまうというのは、幾度となく此処で述べていますが。家庭の湯船の水面を一目見ただけで、柔らかさ、やさしさが、わかるのですから。

でも。
帰るところで。
住むところでは、
ない。
私にとっては。


思いが溢れ過ぎていて(2回言う)、今日のところは、ここまでで。
ありがとうございます。