泣いてもいいような感じ。
出雲の、八百万の神々が、そう言って緩めた。
何をしなければならないか。
辛かったね。
同郷のシンガーソングライター竹内まりや氏が、アレンジャーとしての山下達郎氏に身も心も委ねたのも、実家の大社の八百万の神々に導かれてのことでしょうか。
「追悼展のパーティにjuriさんが来ないって事だったし、不夢不無の遺影に記事をお供えしてきました。」
そう言って、ライターのK氏は静止画を見せてくれた。
KOBECCO4月号の私の頁が、彼の遺影に向けて開いてあった。
編集長じきじきに、ジジーに献上してくださったのですね。
ジジー、私を料理してよ。
私は、いつも不夢不無に涙腺を緩められた。
私は脱がされた鎧をあの時再び纏って、涙腺を固く締めたのだからね。
例えば、
酒が飲めて、
カウンターに俯すことが出来る己だったら。
天上の貴方を指したのじゃ、ない。
決して、そんなつもりは、なかったのに。
あの、ポージング。