art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

尺度

rubenjuri2017-04-03

解く人は
導こうとしているのでは決してなく
オリジナリティを確認し、残そうと形にしているのだ。
表面に踊らされる多数の人々は一事が万事、解く人の最期を結果とするけれど、それは決してラストシーンではない。
生き様を見せたいのではなく、事象には現れない内なる幸福を残しておきたいのだ。
解く行為は
時として他人の目や手に触れることも想定しながら、第1には己のオリジナル反芻を展開することなのだ。
事象と幸福とは裏腹の場合が多くてもそれは全くと言ってよいほど関係がない。
静かなるものだ。
祈りなのだ。
読経である。
それが
己の幸福なのだ。
『route317』などは最たるもので、捧げるものでありながら、対象人には決して向けない。
遠い将来耳にすることも想定しつつ、繰り返していくのだ。


例えば彼が今、音楽から離れていたとしても、それは幸福とは呼ばないと誰が言えるだろう。
彼にとって、パーツを弄り組み立てる行為は読経であり、これこそが静かなる祈りであろう。


どんな巡礼よりも尊いかもしれない。



例えばカフカ
迷宮の中を彷徨う小説の数々をお蔵から出す意思なく果てても
そのオリジナリティの軌跡により沈静の幸福を経たのだと判断できる。


その最期は渇きに喘いでいたとしても。