art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

『尺度』について

昨日の嵐の前に、熊野神社にお詣りしました。

嵐の前なのに既に花びらは敷き詰められつつあります。



チビチビの頃から大学卒業までの思想傾向を回想するにつけ、「暇だったんだな」と思うのであるが。
保留しただけだったんだな。
何故、保留したのか。
例えば飲める人ならば「それなりに歳を重ねたら、バーカウンターでしっぽりとグラスを傾けられる日々が来るだろう。」と、思ったりするのに近かったのだろうか。
40代も終わります。
最近、憚ることなく繰り広げている。
否、今まで決して憚っていたつもりもないが、経験も重ねて、帰納が叶うところもあるのだろう。
それを煽るかのように先達は、導き検証へと促すのだ。
不条理な獄死を遂げた哲学者が獄中で幸福論を説いた理由は
幸福とはオリジナルなものであり、表面に見える形では決してないということに他ならないのだ。
先日此処で『尺度』というタイトルの投稿をしたのはそれである。
巷は
個人主義という現象を由としない。
だからシェルターは必要であるが。
シェルターを作り寄り添うべき仲間と居ても、居場所は確保するのだ。
それがもしかしたらR荘と呼べるかもしれない。
私は興味がない。
大勢での戯言など。
喧嘩をしていても同時に幸福を噛み締めているひとときもある。
誰が解ろうか。
趣向品をくゆらすのだ。
それが己にとっての思想だと言えよう。