おばちゃんおつかれさま。
ひとまずはおつかれさまでした。
めっこ、おばちゃんはそばにいる。
とても悲しんで寂しがってひとしきり嘆いたら。
それを感じて過ごせると思う。
昨日は仕事から帰ってファンヒーターを点けてファンヒーターの前を陣取りしばらく冷え切ってる体に暖をとっていて、普段ならばそのままうとうとしてしまうところだが、何故か手持ち無沙汰でYouTubeを立ち上げた。
ホームの1番上にはよく観ているであろう関連動画がオススメされているはずだが、脈略のない関連性もない動画が。
気になるが15分もあるので、数秒躊躇し、観ることにした。
あっという間の15分。
深夜。
同級生のYからの電話で、めっこのお母さんの訃報が入った。
去年、ママとお姉ちゃんと3人で、おばちゃんに偶然会って、話すことが出来た。私はおばちゃんと手を握り合って割と長く話せた。
その夜にめっこからメールが入り、「珠里ちゃんが声かけてくれて凄く嬉しかったって、お母ちゃん本当に喜んでた。」と。
なんだか若返っていて、まさか最後の会話になってしまうなんて思ってもいなかったのだけど、今思うと、姉と母と一緒の時に必然的に最後に出会えたのだ、と、とても腑に落ちる。
Yからの電話を切った後、ひとしきり泣いて。
でも、あの動画の内容が心に沁みてくる。
ひとまずは体にお別れをするのに辛さは伴うが、そこからは魂とよりそっているのだと感じながらいきよう。
いつもの様に、西方浄土に手を合わせ、1度はベッドに入ったが。
「カレンダーを3月にめくってなかった」と、ふと、思い出し。
めくると。
「大切な人あなたを忘れない」
導かれ生かされている。
前回帰省した時におうすを点ててもらって語らった、あの、MAMIとお姉ちゃんとのひと時、あの時以降、私はやっと、扉を開けるのを赦された感覚を覚えた。
赦していただけたばかり。やっと。
この赦しは今だからこそなのだと確信している。
めっこへ。
おばちゃんの訃報が入る前。
不思議なことがあったので、
これはきっと、
「そばにいるからとあの子に伝えて」と
おばちゃんが私に託したのだと
気づいたんだよ。
おばちゃん、
私にそれを託してくれたのなら、しっかりと伝えます。
お別れにも間に合うように帰りますけれど、めっこに会えば、これからもおばちゃんを感じられるだろうと得心があります。
あの日
会えて良かった。
お姉ちゃんもママも一緒だったあの時に、おばちゃんに会えて。