art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

art-Pのjuriです。

rubenjuri2009-11-06

姿もだけど。
中身も。
パパに似てきたよな。
ママに似ているとよく言われるけれど、パパなんだよな。
セガレも、両方によく似ている。
パパとママは、系統が同じってことなのだろうけれど。


おとぎばなしなのだとしたら、あのひとは、がいこくのひとに、あんなつみをおかしたから、おかおがね、あんなふうになっちゃいましたって、そういうふうにもいえるのだよね。おとぎばなしだとしたらね。」


セガレはスルーする。


「松江に、ゴスオという猫がいて、政治家だったのだけれど、いつも、統治に奔走していて、いつも、ボロボロで、ドライも缶詰も食べなくて、もう、このままダメなのじゃないかって、そう言っていて、そしたら、隠岐から捕れたての鰈が届いて、それを出してみたら、ウソみたいに食べてくれて、たちまち元気になって、また、すぐに、統治に出かけてった。彼は、クールな政治家だったのだけれど、嘉事先生にだけは対等に打ち解けて、先生の膝に居たり、同じフロアで先生と雑魚寝していたりしていた。今は、ふたりとも、召されて、居ないのだけれどね。」


うたたんは、真剣にきいてくれる。



パパとママが愛し合っていて、パパが召されても尚、変わらず愛し合っている限り、きょうだい3人共、両方によく似ていて、でも、何故か・・・。
中身は3人共、パパなのだろう。
そして、中でも、最も中身がパパに似ているのは、私だって、自覚する。
自覚するってのは、よっぽどだぜ。
究極に似てるってことなのだろうな。
私を見ているセガレが、私みたいな子供じゃなくてよかった。
パパを見ていた私とは、違うように思えるから。



不思議だな。
セガレ産んでから、すぐに気づいてはいたけれど、最近、全く確信に変わっているよ。
パパ。
私は、パパに似ている。
うたたんの存在や、マリーちゃんや、周りの、みんなが、それを教えてくれる。
日々。


パパを見てきたからとか、そういう次元などじゃない。
だって、ママみたいにはならないのはわかるもの。
似ている。
なんなら、
パパが、居る。