art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

ティッシュにボールペンで

rubenjuri2017-06-24

MAMIと明け方まで話していたので、寝床に入ってからほんの2時間ほどで、よしきがキッチンに立って料理を始めても、そりゃあ、なかなか起き上がれはしない。
それでもMAMIよりは早く寝床の上で座ってボケーッとしていると。
「おはよー。珈琲飲むか?」
朝ご飯の洗い物まですっかり終えてのんびりしているよしき。
のっぺりとした感じで食卓に座ると、カフェオレが出てきた。
カフェオレ飲んでたら覚醒してきたので、よしきと楽しく喋っていたら、「もー、あんたたちー。」と、迷惑そうにMAMIが起きてきた。
よしきが出勤していき、MAMIもしばらく話してから出て行ったので、身支度をしながらのんびりさせてもらい、姉と合流する時間に施錠して出た。

ヨシキ 、Thanks !
Juri

と、ティッシュにボールペンで書き置き。
食卓に置いて、何をペーパーウェイト代わりにしたんだっけかな。
忘れたけど。


MAMIのママにエントランスでバッタリ会い、いつも通りを装って、
セガレがいつも突然会いに来てごめんねぇ。」
「あら珠里、店開けてあげるけん中でお姉ちゃん待ちなさい。」
お互い照れている。



お姉ちゃんと叔母さんと合流してからママに会いに行き、ママを連れ出してから叔母さんを家に送り届けて。
先ずは親子3人でお昼ごはん。
ママはオムライス、お姉ちゃんはカレーオムライス、私はローストビーフ冷麺。
なんか美味しかった。
なんか。
お姉ちゃんも、「カレーが甘口だわ、美味しいわ。」と、なんか。
そしてママの夏用上履きと夏用肌着やらを買い、いざ!
出雲にお墓まいり!!!!
おじいちゃん、おばあちゃん、パパ、お兄ちゃんの!!!
ママはゆっくりと手を合わせていました。
なんか、お姉ちゃんも私も、心の底から安堵した瞬間だったと思うのです。
それにしてもなんだろうなこの巨大なうちのお墓は。
コレはなんでだろうな、このお墓の立派さは。
これを今までママが1人でメンテナンスしてきたのか、お墓掃除もいつもママで、私たち子らはそれを補助してきたが、ママはすごいな。
だから護られているのだと思うのであるけれども。


松江に戻り、ママを送り届けた。
「また来る?」
「うん、また来るよ。」
今一度、叔母さんを迎えに行き、ママの一連では本当に近くでお世話になった叔母さんを接待しようと、ディナーに連れ出しました。
お店は、タナカやアラッツやメッコや、みんなが色々と真剣に、ホントに親身になって話し合って考えてくれた結果、
「やっぱ、juriの考え通りが良いと思うわ。」
との結論をタナカが。
「そうだな、当初の自分なりの考えに従えや。」
「うん!」
てなわけで。
ユッコ先輩のお店、まるた屋さんへ。
先輩に予約を入れたら、個室を用意してくれて、良くしてくださり、そして何より、叔母がとても喜んでくれました。
ユッコ先輩は中学時代からマドンナだったので、その時も、同級生のF君がちょうど来てた。
卒業以来の再会で、名刺交換したり、ライブのフライヤーを渡したり、嬉しかった。
やっぱ先輩に会いにみんな来るのねー。うきゃきゃー!

まるた屋さんは海鮮系美味しいのはいつものことだけど、お肉もあったぜ!
それも、超絶美味いぜ!


また、お昼、肉、夜も肉っての、やっちまいましたな、俺。


私の故郷って、自慢するところしかないわ。
自慢の故郷です。


ありがとうございます。