先日、バラード歌手の倉橋ルイ子さんのライブMCを現場で生で聞き、考えていました。
否、日頃から考えても考えてもわからずに遣り過ごしている件なのですが、奇しくも倉橋ルイ子さんがその件を話しておられたので。
アイドルとしてデビューされた当時から存じ上げているし、バラードばかりを歌っておられるというのも知っていましたが、実に、デビューの19歳の頃から一貫しておられるとのこと。
ご本人も周囲も、いろいろ演ったけどそれがしっくりくるとの判断で。
何よりご本人の腑に落ちる感じから。
早いけど、この線で売る、との結論で。
仕事も
性格も
キャラも
何もかも
わかってほしいひとに、わかってもらえたらいいということも尊いのです。
しかし
わかってくれるひとにしか、わかってもらえないというのは。
んにゃ。
自分でもわからんからな。
ただ、しっくりくるのは、あるんだよ。
そこを根底では追求するんだよ。
以前、此処でも記したセガレの感覚を今一度おもいだす。
「トーベ・ヤンソンの描く世界は平和で切ない。」
それ。
それだ。
終末の
そのまた向こうの穏やかな切なさ。
オマエも抱くかって秘かに嘆いたものだ。
荒廃だけが虚無だとしても
この
混沌の
居心地に
まだ
居たいのだろう。
なぜならそこには
表現の世界が
確かに在るからだ。