art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

ふたりのきもち

rubenjuri2011-11-30

忙しかったぁ、秋。
11月が終わる。


朝1から3時までひとりで次々と楽しく忙しく淡々と静かに大きく大胆に控えめに・・・すなはちメリハリで作業。こういう日は何故か、否、そんな気の流れから生じて、接客をお客様から要請される事が普段より何倍も多いのである。
それが気持ちいい。
人が足りてて余裕の作業の気とは明らかに違うのだ。
楽しい。



夜。
若き“folca”のアルバムを聴いて体験していた。
例えば、琴線に触れる楽曲を耳にする場合がある。
例えば、『現身2008』のサビの部分のDEREK兄貴のギターの音で子宮がキュンとしたり。
例えば、聴いた事により号泣のあまりに発作が出たり。
例えば、鉄腕氏はレッキンの音楽で深呼吸をすることが出来ると言う。
挙げればキリがないのかもしれない。
例えば、今宵。
いろいろ手を尽くしてマッサージや鍼に通ったり患部を自分なりに温めてみたりして血流を改善するのも効果的な発作の予防法ではあるのだけれど。
『スローダウン』を何気無く聴いていて涙がつたった時、うなじが温かくなった。脈打つほどに。


可愛いなぁ。愛おしいよなぁ、己の現身が。
全身で反応している。
此処に棲息しているのに、それが辛かった3年間。
よく頑張ったご褒美はいづれ
アジトがワレタ。
音楽が聴けるように、また、なれたのだ。


『スローダウン』の歌詞は実体験ではないのかもしれないし、実体験なのかもしれない。
でも私はふたりを知っている。
ふたりがダブるのは自然なのだ。
「でもねjuriさん。いつか、行っちゃうって思ってたから。」
「あのねjuriさん!夏に東京に行ってくる!!」
別れと再会。
愛し合うふたりのきもち。
ふたりのどの時期のどのきもちも正しいのだよ。


疲れを切なく癒してくれたfolcaに敬意を表すつもりで、関係ないけどあの子にメールをした。
「忙しかったぁ、秋。風がスローダウン。今スローダウン。お互い、頑張って年越ししようぜ。」


「juriさん☆おつかれさま。スローダウン!もう12月なんだね。」



しばらくfolca聴くと泣くと思う。
棲んでいるのだからしかたがない。
母国語はそれそのものが表現なのだと思う。
だからボディランゲージが西洋よりも要らなかったのだろう。
言葉にのせて表現を湧き上がらせ重ねたら最強になる。
例えば。
うっすらとギタリストのコーラスが聴こえる時の締め付けられるほど切ない心地良さ。
そんなものにも包まれながら、広大な大地の歌う言語と言われる国の己が、隣の島国の深い深い言語を口に含みましょう。