art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

アリヨウ

rubenjuri2011-04-14

ごめんなさい急なことでSOSを出したい衝動が先に立ち、カミングアウトをさせていただいている方にだけ伝わるだろうなんて浅はかな考えだけで信号を出してしまったようで。
確かに寄り添う事ができて、あの日はとても安心して嬉しくて、心の底から彼女を大好きで、でも、大好きだからこそ、帰宅してから、「もしかして・・・?」と、思ったのです。
もし、気を使わせてしまったのだとしたら、ごめんね。
本音は・・・ありがとう。
本音はありがとうだから、これから私はどうしたらいいか。
腰を上げなければならないときが来たのかもしれないと、やっと、こんな形で。
感謝を、どうにか、伝えたいから、自分で伝えるために、なんとか。
治りたくないというのは、本当に完治するのじゃなければ、治りたくないということで、今の心の有り様では、そうは思えないのであり、それが、私の勘違いであるのならば、本当に完治するのならば、それは、治りたい・・・のです。
治りたいというのは、大切な人たちに気を使わせたくないということが一番で、それも、何故かというと、自分が治っている状態を考えられていない証拠なのでしょう。
何度も此処で記したのかもしれないけれど、大好きな人は、どんな状態の場合も大丈夫で、平気で、それは、3年前まで誰にも言えなかったから、そういう病気が実際にあるのだと知るまでの間に、アイデンティティが確立し思春期も過ぎ大人になり、そんな長い長い期間に会得したコントロール術によるものなのだと思います。だから絶対です。だから気を使わないでほしいのです。でも、もう一歩、踏み出すべきなのかもしれない、と、彼女とあの日、素敵なひとときを過ごしてから、ずっと、考えています。
いろいろ、この3年でわかったのです。
大切なひとが、わかるのです。
ごめんね。
でも、本当にありがとう。


画像は、お祝いちらしです。
ここ数日、セガレとも上記の件で春秋しておりますが、今日は学年トップをチョイ祝う気持ちで、菜の花の代わりに藤原農園の茎ブロッコリーといくらを散らして、混ぜ込む具材もふんだんに入れてデコレーションちらしにしたってのに、朗らかにはいかなかったのでした。
無言の食卓。
これさえなきゃって思うことが、人生で、どのくらい起こったのだろう。
治そうかな。
治るのかな。


今朝。
ずっと憧れていた女性と初めて会話しました。
こんなに幸せなのに、触れたくなります。
写真だけでいいなんて思っていたのに。
声がききたくなり、叶うと、
実際のお姿を拝見したくなり、
叶うと、
お話がしたくなり。
顔が笑っちゃいます。


皆々様に、感謝です。


ありがとうございます。