2度目の玄米黒豆ご飯でございます。
旨し。
昨日は、どうしてるかなぁって思っていた画家のK K女史に久しぶりに会ったので、ほんの半時間ほどお茶しました。
「ずーっと娘が私に本を回してくるから読んでいるんだけど、哲学的な宗教的な内容ばかりなの。」
「お嬢さん建築だから、そういうアプローチの方法なんだろうねぇ。すごいですね。」
「私、ずーっと、何年も、いっぱい読んだよ。」
「すごい。クリエイターとしてもなんかあるかもね。」
「それよりもさぁ。」
「ん?」
「読みながら、いつも片隅にさぁ、珠里ちゃんってこんな世界で生きてきたのかーって、考えてるんよ。」
「マジで!?」
「そうよ。何年も。」
「ずーっと?」
「ずーっと。ねーねー、いつからそんな思考だったの?」
「や、物心ついた頃にはそうだったよ。幼稚園とか、1年生とか、教室や校庭の隅でひとりで、パーンと世界が消えても全員勘違いでそのまま魂だけがあるのかもしれない。とか。」
「そっか、やっぱりね。」
「高校大学は暇だったからそんなこと掘り下げてたと断言できますよ。」
「でも、ずーっとなのよねぇ。」
「それが普通なのでねぇ。逆に他のこと何もかもほったらかしにしてこの有様ですよ。K K女史は薔薇を描き続けて、見えました?」
「最近やっと油彩が見えたよ。」
「すごい!深いね。ひとつのことだけをやるのって、そういう醍醐味ありますよね。」
「そうよね。」
「30年続けてきた仕事も、やっと5年くらい前からわかってきたり。」
「そう!辞めたらわかんないのよ。」
「そうそう!」
「そんな世界で展開してるライブなら、夜は出にくいけど、なるべく行こうかと思って。1度は生で聴いておかないと。」
お昼間のライブにはいつもお運びくださるけれど、Ryancはほぼ夜ばかりなので。
無理しないでと言いたいところだけど、来ていただきたい方には、真っ直ぐに見て、「来て」と言いたいのだ。