『アイアンK氏』で描いた葬式シーンは、セレモニーくらいはノーストレスで居たいという願いだ。
しかし葬式の主人公はこの世にもう居ないというところに、ノーストレスの今更感が不条理性を醸し出す。
そして、
最大限に妥協した。
ここでいうストレスの根源が75000人に1人の病気だと知るのは、この映画を製作した2年後である。
偶然に知ることになるまで、なんとか折り合いをつけて生きてきたので、ある意味では克服に近づいていると言い聞かせていた。
微塵も克服などしていないのに。
従って、妥協という認識もなかったのだろうが。
ご会葬御礼は、ドレスコードに従って現れた場合以外の者が、別室で開梱して、品物に着替えなければならない。
しかし。
しかし、それでいいというわけではない。
着替えたならいいというものではないのだ。
もし
筆者が生きていて人生の門出のセレモニーにドレスコードを願うなら。
ご案内状フライヤーにはどう書くだろう。
「今回だけでいいしその後は気にしないで」とカミングアウトするのだろうか。
辛いが
強い。