art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

わからない言語の音の美しさ

rubenjuri2011-04-11

引っ越した先の浜乃木町は、通っていた高校に近くなったので、ふらふらとジャレながら帰宅したと思う。
自室で着替えて居間に下りてきたらTVのニュースが騒然としていて、ママが説明してくれた。
まるで人ごとのような話しっぷりに、突然、わめくように号泣し、トイレに駆け込んだ。
叫びのような泣きわめきを、トイレの中で、20分間、絶え間なく。
表面だけ言葉だけ飛び込んできてショック状態の思春期。
自分でもどうしようもできない苦しさ。
ちびちびの頃から声帯が人一倍強く、天然の腹式呼吸による泣きわめきの持続で、このシャウトは永遠かとさえ思えた。
ママはトイレの外で、どうしていただろう。
チャレンジャー号の爆発。今生きていた人が、次の瞬間、居ない。
笑顔で乗り込む画からの空の画を繰り返す報道。
腹が立って煮えくり返って悔しくて。


挑戦から努力へって意味で、エンデバー号が発進。
まだ、わからない。


後にも先にも、あんなに泣くことはそれ一回だけだけれど、大人って言われる年になり、年を重ね、なんとなく表層部分から頁めくるみたいにわかりかけてきたかもしれない。
例えば、JR西日本福知山線の事故の時も、チャレンジャー号のこと、思い出したし、今、被災地での余震続きのテロップと信号音に振り向くと、やっぱり思い出すのだけれど、全然、違うのだよな。
犠牲と殉職は。
仕事に就いて報酬を得て、わかることです。


丁度1ヶ月で、頻回に余震がくるだなんて、被災地の皆さんが抱える恐怖と心労とストレスは大変なことでしょう。
夕飯の下ごしらえから一旦の洗い物を進めながら、嗚咽が止まらなかった。
被災したときは、音がとても怖かったから、余震ではなくてもドキッとしたし、ましてや余震だったのならば恐怖で動けなかった。
わからないうちはただ暴れればいいのかもしれないけれど、わかってきたら、悲しみが深い。
わかるって、切ないことなのですね。


よその国のみなさんの心がとても清らか。
その声や心が実際に被災地に届いているのかなぁ。
美し過ぎて胸が苦しいです。
届いて、活力になりますように。