art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

反芻世代

rubenjuri2015-05-31

おー。
こうなるのかー。
餅粉というものの形状は認らないが、字面と音から。
今日も今日とてカプセルカッタークワトロで、島根のお餅を。
そして和菓子っぽくリメイクです。
否、和菓子っつったって、生菓子みたいに美しいものではなく、極、素朴な丸。
おー。焼いたらー。うぉおー。
美味しいです。
食べたー。撮り忘れてー。


juriです、こんばんは。



10歳の頃。
この大曲を細胞だけが吸収したとして。
リアルタイムに魂が聴いたであろう二十歳前の人々を、羨みつつも。
聡明にして汚される罪と罰で、瞳が曇っていくのを成長とすること、それ自体を耽美だと。
主人公の年頃の人を、当時19歳であった彼が汚すひとりであったとしたら、大人になった彼女は今、彼に手紙を書くだろう。傷つけられた相手に「お元気ですか」と。
彼もまた別のところで、彼女を傷つけたことで自分が成長したことを振り返るのだろう。
詫びではない。礼に似た。
私は見上げている。
そんな未完成な大人たちを、憧れの眼差しで。



つくづく、阿久悠先生に育てられたなぁ、俺。
物心つく時期から実に長い間に渡って。
かくして。
ダイレクトに歌詞とメロディにヤられるのではなく、細胞がまずリアルタイムでワンクッション。
そして、涙を伴って、歌詞とアレンジに酔いしれる。
ノスタルジックに。



どちらもいい。
むしろ2度おいしい。
否。
3度かもしれない。


ありがとうございます。




あ。
今日はスタジオでした。
休憩時間の全員出払った第3スタジオ。