TVアニメ版の『ワンピース』が始まった頃はセガレがちびちびでしたので、夕刻にチャンネルを合わせたりしましたが。
数回観て。
演歌だと思いました。伸ばし気味の節回しを思わせました。独特の辛気。
ジャンスレスに噛む方でですが、ちょっと、コンディションとして、通ってきた道すがら、避けたくて、避けて、今日まできましたが。
セガレは観ておりますよ。今もたまに。
昭和歌謡と、日本人気質と、諸々、どっぷり知っている者として、今は、コンディションには合わないのです。
若いこれからの人たちに支持される事により、この儒教の浸透した国に再び形を変えて欲されてきたのが、この作品なのだろうなぁ、と、遠目に察せるのです。
が、ちょっと今は無理。
や、ちょっと、ずっと、無理。
一方。
円谷の世界はロックだと思えてしまいます。
吸収しきりです。
それは逆に自分がロックの世界から程遠いところに位置しているということなのかもしれません。
彼等は45年間、1コのことだけを唱えています。それだけを言い続けているのです。
光。
それを信じる時、世界は、宇宙は、ひとつになるのだって。
この真理を抱いて転がってくし、転がしてこうと思うのです。
演歌とロックと流行歌。
ジャンルレスが当たり前の、八百万の神の国で生まれたアジア人。
多神教の倭国で育ったから、ジャンルとかの意味は今でもわかっていない。
それは単に便宜上のことでしかない。
己にとっては、ね。
インプットがアウトプットで辻褄を合わせていくと、
いろんなものが生まれて
かたちがすばらしく輝くのだ。
表現がしたい。
仲間と一緒に演りたい。
一緒に。