art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

駆け込む方には、すみません。

rubenjuri2011-09-05

奇しくも2daysでこの件になるとは思っちゃいなかったが。


言語脳は左脳だけれど、言霊として右脳に働きかける。
ざっくりそんな気がしてちびちびの頃から表現を意識してきた。
ラストまで救いのない悲劇が殆どでも、タブーとする表現は無意識に避けてきた。


ハリーポッターの深層には、1代では済まない罪や咎や憂いが見え隠れする。
そこには、マクロに物事を見据える先人たちの助けがあった。
「言葉を操るのが得意でな・・・言葉は魔法なのだ。発せば現実のものとなる。ハリーよ、助けは望む者に与えられると言ったが、言い換えよう。助けは、ふさわしい者に与えられる。」
全ては繋がっている。ドラコを助けたことで、敵であったドラコの母に助けられる。
全て、今の自分の作業を反芻させてくれるメッセージばかりであった。
ハリーを狙うセルブスを又ハリーも憎んでいたが、本当は、母リリーを永遠に愛し続け、愛する女性の息子ハリーを、ちびちびの頃から敵のフリをして守り続けていたのが、誰あろうセルブスだった。
最期の時、流れる涙の中に真実があると告げ、採取させ、そして言ったのは、
「ハリー。君はリリーと同じ目をしている。」
全ては繋がっている。そして先人たちは、自分の中に居る。
紛れもなく、海を越えて愛する人を追った纏足の少女が、私の中に居る。



パパ方もママ方もおじいちゃんはとてつもなく凄腕の商売人だったけれど、その分だらしのない人たちだった。
男子はみんなそう。ずるくて弱い。
ちびちび期に、向田邦子ドラマを醜悪に反面教師に育った私は、今になってデキル男のだらしなさに辟易とする。
女が、そう、女の決心がなきゃ、私だって存在していない。
でも。
そんな関係を由とする自分には、今のところ、成れていないよ。



絶対にセルブスの愛がハリーとその子供達を存在させたのだ。
みんな、いっこなんだ。
繋がっているんだ。



向田邦子ドラマの音楽は民族音楽が挿入されていたりと、インプットとしてはちびちび期には大きなインパクトを注入されてはいるが、不思議と、ドラマの内容然りで、全く影響はされていない。
最近、tomo女史とのやりとりから、毎晩、『火の伝説』と『天使ミカエルの嘆き』の2曲を聴き続けているが、そちらは逆に、今日のハリーポッターの音楽に共通点を見出し得た。
この2曲に出会った時には、自分の創作ありきの上だったから辻褄が合う思いがした。曲の終わりさえ辻褄の合う感じだったのだ。



自分の思想傾向とは、細胞で何もかもと交信して生ずるものなのだろう。
そして特筆すべきは、最大の敵の一部が、己だったりするってことなのである。


セガレ頑張れ。
頑張れ俺。
“いざ行かん道遠くとも”