art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

石碑

rubenjuri2011-08-16

その時は突然やってきた。
忘れているわけではないけれど、引き出さない程度のコトをAYAが引き出してきた。
「JURI作・演出の戯曲を、小学校のお楽しみ会では毎回みんなでやったよねぇ。」
「短気だった。ごめん。」
打って響くやりとり。
お互い驚いた。
懐かしむ場面で間髪入れずに謝ったのだから。
私らしい。



今の私じゃ考えられない演出方法。
でも、あの頃の方が、みんな本気で、みんないい芝居をした様に思う。
今が本気じゃないのじゃなく。
とても商売人な八方美人に成り下がっちまった(そんな自分も大好きで可愛い)し、お運びいただいているし、時間もないし、ただ、ただ、形にしたくて、タイトでもやっちまう。という、やり方。
これは変えないけれど、昔のやり方を思い出すか否かで、これからは違うって思った。
AYAに感謝。
今(私の映画)のやり方は、あの頃とは違って、ホンは配らない。でも、なにせ八方美人で太鼓持ちだから、「くれ」と言われれば、相手を見て、渡すが、吉とは出ない。
もう、しない。絶対、ホンはその場まで配らない。
例えば、umeには渡すが助監も兼ねているからで、その上、奴はキャストの常連で私のホンをよく知っているから、とてもしっかり読み込んできてくれた。それは予想外のいい演技に繋がったから、とてもありがたかった。全体をマクロにみてくださるのならば、渡したいと思う。
あの頃は、だって小学生だもの。それはそれは打ち込んだし、みんな、ひとつになれた。ホンを愛してもくれていた。ありがとう。
楽しかった。ありがとう。
AYAは諭してもくれる存在で、素晴らしい相手役で、私のやることを男子に理路整然と正当化してくれる親友だった。
担任公認の2コイチだった。
小学生なのに、出来上がった美人だった。「中身も外見も嫌味の無い美人」とは、ママの意見である。
今も、誰より美しいです。


準備していたことじゃなかったけど、謝れて、良かったぜ。
いろいろ、次に進める感じ。


それと。
今のもうひとりの助監、FIKの存在は、あのころのAYAかもしれない。
太鼓持ちで八方美人で妥協ばっかりの今の自分が、唯一、泥を吐ける存在。
ごめん。ありがとう。個人的には常日頃、感謝の意を伝えているつもりではあるが。
AB型ばんざい。

復路のバスの車窓から見えたのは、石碑。
“松江三中ここにありき”
今まで全然気づかなかった。
ありがとう我が母校。


そして。
リバースただいま。
大山パーキングにあった鬼太郎ベンチを撮りました。


帰ってきて食べたのは、小ちゃい画像の、ママ弁。
こっちで食べる、松江の水で炊いた松江のお米のおにぎりは最高。
ママありがとう。