art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

歎異抄の

rubenjuri2011-05-13

こんなに早く、また、京都に立ってるとは思わなくて、とっても嬉しいです。
先月には行けなかったところ。
母校周辺へ。
色々変わっていたけれど、全く同じだった場所もありました。
グリルHASEGAWAは、あのころのまんま。全部全部。
ハンバーグ、激旨でした。
毎日食べれる。
毎日通ってたんだし。
キャンパスも、色々変わってたりしたけれど、やっぱり雰囲気はそのままで、流れる気も、普遍な感じでした。
あの教室では水沢くんの代返しなきゃならなかったし、そっちの教室では毎週毎週アメリカンジョークの長文を意訳して日本人でも笑えるように直さなきゃならなかったし、栗花落が1月15日に試験をズラすって言うから、こっちの教室に全員集まって、「みんな帰省できなかったなー、地元で成人式、出席したかったなー。」なんて、ぼやきながら試験を受けたし。
昨日のことみたいです。
何度も此処で記しているのかもしれないけれど、オープンキャンパスなんて行ったことないので、受験日に初めて受験校を見るのだけれど、一歩踏み入れて、空気が合うと思って、それだけで、どうしてもこの大学で哲学を学びたいって、祈りながらの受験で、倫理では驚くほどヤマが当たり、しかも得意の論述式で、感謝と祈りとをリアルタイムに遂行する一日でした。姉が拵えたお弁当も、祈りながら食べたのを思い出します。
校門には、学生が書いたニーチェの『ツァラトゥストラ』の中の一文の書が掲げてありました。
とても久しぶりに来たのに、入る前にそれをしばらく観ていたら、とても安心しました。
入学式はお葬式みたいなので、次の日から来なくなる学生が毎年数人出ると聞いたけれど、私にとっての入学式はとても澄んだ気の中で行われている感じで、とても落ち着きました。
校歌はハーモニーのあるお経のようで、心が洗われるようでした。
校内の各棟を歩いて回るうちには、たくさんの思い出がすれ違ってくれました。
静かで、とても居心地がよかったです。
幸せでした。
当時、地下鉄は大学どまりで、全く混まず、ホームの端と端で友人と会話ができました。
おネエキャラの前野くんが、フェミニンに駆け寄って、フェミニンに私のファッションを褒めてくれたのも、いつも、ホームや貸し切り状態の車内でした。
「いやーん、それやろー?ユーズドのマキシコート。かわいいやーん。」
「そーそー、憶えててくれたん?いつか着てくるっていってたやつ。」
「当たり前やーん。なかなか着てこーへんから、待ちくたびれたわー。」
みたいな。
全部、フラッシュバックです。
幸せです。


HASEGAWAはすぐまた行ってやる!
また、火がついた。


ありがとうございました。